お寺のオバサンのひとりごと

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浄土は死後の世界なのか?

2012年01月26日 | 仏教
 先日もご紹介した

 森田真円 師 著 「ひらがな正信偈」p188に、こう書かれています。

 

 浄土を 死んでから存在する世界 と考えていると、
浄土真宗の教えの中心であって、阿弥陀さまの救いを表現している
「現生正定聚」(げんしょうしょうじょうじゅ)、つまり
「現人生において浄土に往生すべき身に定まる」

ということがぼやけてきます。

 
 確かに、完全な往生即成仏は、死後のことですが、
阿弥陀如来の救いは、今、私に届いているのですから、
決して、浄土が、今の私と全く関係のない世界で、死んでから初めて行くところではありません。
 
 先日、カーナビの話をしましたが、
目的地を「浄土」(さとりの世界・仏の世界)とインプットした時(阿弥陀如来のこころを受け、如来にまかせて生き抜こうと思う時)
すでにカーナビに導かれるのは、決定しているのですから、

目的地の定まらない(自分中心の物の見方により心コロコロと)迷走をしているのと違って
確たる安心の中に人生を歩むことができます。 


 森田先生はこうも書かれています。

 親鸞聖人は、
未来に浄土に往生することが約束されているから今が救われているのではなく、
今救われているから未来の往生は必然となるとおっしゃっているのです。
 
コメント (2)
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