お釈迦様が私たちに説いてくださったのは
「縁起」
世間で使う「縁起が良い、悪い」とか「縁起を担ぐ」とか・・・自分にとって幸運なこと・おまじない のような意味で使う「縁起」とは、違います。
仏教で使う「縁起」とは、「因縁生起」の略
この世のあらゆる現象は、さまざまな関連性の中で生じては滅している
「因」に、いろいろな「縁」がはたらいて、さまざまな現象、結果が「起」きる
ということです。
お釈迦様が教えられたのは、真理・法ですから、それは、「私」の立場から見れば
不都合で、大変厳しいことです。
例えば、大震災を
地球の立場から見れば
ぶつかり合ったプレートがあり、そのひずみに耐えきれなくなり、大きく跳ね上がった結果、地表が大きく揺れ、大津波が発生した という
自然のいとなみです。
でも、私の立場から見れば、
自分の住んでいる場所で、大地震、大津波が発生し、自分の生まれ育った町ごと消滅。自分にとって大切なもの、最愛の家族も、家も、仕事も失ってしまった・・・
という言葉にできない苦しみになります。
「縁起」
世間で使う「縁起が良い、悪い」とか「縁起を担ぐ」とか・・・自分にとって幸運なこと・おまじない のような意味で使う「縁起」とは、違います。
仏教で使う「縁起」とは、「因縁生起」の略
この世のあらゆる現象は、さまざまな関連性の中で生じては滅している
「因」に、いろいろな「縁」がはたらいて、さまざまな現象、結果が「起」きる
ということです。
お釈迦様が教えられたのは、真理・法ですから、それは、「私」の立場から見れば
不都合で、大変厳しいことです。
例えば、大震災を
地球の立場から見れば
ぶつかり合ったプレートがあり、そのひずみに耐えきれなくなり、大きく跳ね上がった結果、地表が大きく揺れ、大津波が発生した という
自然のいとなみです。
でも、私の立場から見れば、
自分の住んでいる場所で、大地震、大津波が発生し、自分の生まれ育った町ごと消滅。自分にとって大切なもの、最愛の家族も、家も、仕事も失ってしまった・・・
という言葉にできない苦しみになります。