法語カレンダー今月の言葉は(親鸞聖人「正信偈」の意訳勤行より)
さとりの国に うまるるは
ただ信心に きわまりぬ
「さとりの国」とは、浄土、仏さまの世界。
浄土に往生する(往って、仏と生まれる)のは
ただ、阿弥陀如来に全ておまかせ する ことに極まる
仏教の信心は、自分が信じ込む信心ではなく、気づかされ、仏さまに頭が下がる(仏さまに頂く心)です。
仏さまの智慧の光に照らされて、例えは悪いですが、レントゲン写真、今なら、CTやMRIなどで、自分の病気(体の悪いところ)に初めて気づくのと、同じように、
仏さまの智慧の光に照らされて、初めて、それまで全く自覚症状のなかった、心の偏り・自分中心の物の見方に気づかされます。
だからと言って、何の修行もできないし、ちょっと、善行したつもりで、自己満足、すぐいい気になってしまうし、そもそも「仏になりたい」とか「覚りの境地に達したい」な~んて、思いもしない、こんなお粗末な私が
さとりの境地に導かれるのは、阿弥陀如来の本願(私を覚りの境地に導いて、心の安穏をあたえたいと、願い誓ってくださっている仏願)にお任せする以外ないなあ~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_orange.gif)
と、味わせていただいています。
さとりの国に うまるるは
ただ信心に きわまりぬ
「さとりの国」とは、浄土、仏さまの世界。
浄土に往生する(往って、仏と生まれる)のは
ただ、阿弥陀如来に全ておまかせ する ことに極まる
仏教の信心は、自分が信じ込む信心ではなく、気づかされ、仏さまに頭が下がる(仏さまに頂く心)です。
仏さまの智慧の光に照らされて、例えは悪いですが、レントゲン写真、今なら、CTやMRIなどで、自分の病気(体の悪いところ)に初めて気づくのと、同じように、
仏さまの智慧の光に照らされて、初めて、それまで全く自覚症状のなかった、心の偏り・自分中心の物の見方に気づかされます。
だからと言って、何の修行もできないし、ちょっと、善行したつもりで、自己満足、すぐいい気になってしまうし、そもそも「仏になりたい」とか「覚りの境地に達したい」な~んて、思いもしない、こんなお粗末な私が
さとりの境地に導かれるのは、阿弥陀如来の本願(私を覚りの境地に導いて、心の安穏をあたえたいと、願い誓ってくださっている仏願)にお任せする以外ないなあ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heart_orange.gif)
と、味わせていただいています。