昨日は、毎月2日の「寺族勉強会」でした。
ご講師のO先生が、毎回違うテーマで、資料をご準備の上、ご講義くださっています。
きょうは、「正像末和讃」の「愚禿悲嘆述懐」(親鸞聖人85才頃作の和文の讃歌)を教えていただきました。
「愚禿」とは、親鸞聖人が流罪後、ご自身のことを名乗られたお名前です。他人事ではなく、ご自身の心の深い闇を悲嘆された(だからこそ、阿弥陀如来のお救いが間違いないことを喜ばれた)和讃です。
その中の有名な和讃
浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄のこころもさらになし
親鸞聖人が使われる「浄土真宗」は、宗派名ではなく、「浄土の真実の教え」のことです。
浄土の真実の教えを尊び、阿弥陀如来に帰依(おまかせ)する身になりながら
私自身には、真実の心はありません。
うそ、偽りのわが身であって
仏さまのような清浄の心がないのは言うまでもありません。
浄土真宗の教えは、は自覚(自分の自己中心性・幼稚さ、愚かさの自覚)の仏道です。
そう言いながら、一番自覚が足りないのは私自身なのでありましょう。
昨日も夫から、私の「物言いにトゲがある」と言われました。
まさに虚仮不実のわが身にて・・・丸いこころ なんて、ほど遠い・・・
写真は、ご門徒さんにいただいて、門徒会館の玄関に飾っているバラの花です。