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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

愛する人を失って泣くのは

2020年05月29日 | 仏教
 先日、ブックチャレンジの最後にご紹介した
梯實圓先生のご著書「親鸞聖人の信心と念仏」



の中の「自分中心にしかものを考えられない私」
の中にこんな言葉があります。

 p168「自分に都合のいいものを貪り求め、自分に都合の悪いものを排除し、それができない場合には腹が立つのです。
極端にいいますと、人間は人が死んだからといって泣くわけではない。自分に都合のいい人が死んだ時に泣くのです」

 ドキッとしますが、そのとおりだと。
 私にとって大切な人、私の愛する人、私のかわいいペットが亡くなって、
悲泣するのは、私にとってその人がいなくなることに、私が耐えられないから、私の喪失感によって
つらく悲しいのだと。
 現に、私にとって不都合な人(例えばイヤな姑や上司など)が亡くなったら
悲しみよりも、内心、ヤレヤレとホッとするのが「私」なんだと思います。

 どこまでも自分中心の見方、感じ方しかできない私。
 それを「当たり前じゃん」と開き直らず
 ピカピカの仏さまに向き合って、
「あ~あ、どこまでいっても、ジコチュウなんやなあ~」
と、しみじみ身にしみて感じるのが「凡夫」の自覚なのでありましょう。
コメント
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