お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

なむなむ

2016年11月15日 | 行事・案内


同窓会各県支部の役員や有志が年に1回集う、九州交流会。
昨年は、佐賀県支部担当で開催しましたが、今年は、大分県支部。

 13日(日)の交流会には、東九州龍谷高校(大分県中津市・浄土真宗本願寺派の宗門校)の 宗教部の女子生徒さんによる
「NUMーNUM GIRLS」(ナムナムガールズ)が出演。ミニミニコンサートがありました。

本願寺新報 の記事などで、ナムナムガールズの活動は存じていましたが、実物を拝見するのは、初めて。とても、楽しみにしていました。

 若さあふれるパフォーマンス、とても感動しました。

 若者に仏教のご縁を・・・と 2015年春 誕生した 仏教(浄土真宗)アイドルで、大反響。

 しかし、仏教界の頭が固い方が、「仏教を冒涜している」と批判。あるいは、アイドルオタクの方からは、個人攻撃などもあり、
「アイドル」としての活動は、昨年10月に中止。
 
 その後、現ご門主の励ましの言葉もいただき、現在は、若者と仏教との「ご縁づくりのグループ」として、活動しておられるようです。

 今年10月には、「伝灯奉告法要」でも公演、大いに盛り上がったようです。

 現在、発売中(東九州龍谷高校、または、もうすぐ本願寺出版社にて取り扱い)のシングルCD
 
 「夏の終わりのナムナムタイム
 「さよなら先輩
の2枚を購入させていただきました。



 「夏の終わりのナムナムタイム」は、
サビの部分で「ナ・モ・ア・ミ・ダ・ブ・ツ」と、みんなで声を合わせて、ノリノリ、ジャンプで歌う、明るい楽しい曲です。

 また、この度、ミニミニコンサートで聞かせていただいた、

 新曲「4月8日のプレゼント

は、クリスマスは全員知っていても、ほとんどの若者が知らない「花まつり」(お釈迦さまの誕生日)を盛り上げようと、作られた、これまたノリノリの仏教ソングです。

 仏教の暗~いイメージを吹き飛ばしてくれる
ナムナムガールズの活動を応援したいと思います
 

 
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核兵器

2016年11月13日 | 雑感


先日、長崎に行った時

平和記念公園でも、また、原爆資料館でも
九州近辺の小学生が、修学旅行で、たくさん訪れて
皆さん、真剣にノートをとって学んでいる姿に接しました。

でも、核廃絶は、簡単にいかないようで…

この先、どんな世界になり、大人は、修学旅行で学んだ子ども達に何と説明したらいいのでしょう。




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11月の言葉 その3

2016年11月11日 | 仏教
 法専寺山門前掲示板の今月の言葉です。

 思いどおりになることが
しあわせではなく
 思いどおりに
ならないことを 通して
気づかされる
人生のしあわせ 


 組の団体参拝は、皆さん無事、戻って来られました。
 出発日は、博多駅前の陥没事故。
 駅構内は、停電していたものの、JRは通常運行で、無事京都へ。

 帰路の昨夜は、何事も無く帰宅しましたが、1日違えば、きょうは長崎本線はストップしていたらしく
多大な影響があったでしょう。

 最近、「まさか」の連続です。
 
 自分の思いどおりにならないからこそ、悲しみも苦しみも含めて、人生は味わい深いのだと、しみじみ思わされます。
 
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聞法

2016年11月09日 | 仏教


佐賀教区仏教青年会の「聞法のつどい」のご案内をいただいています。
11月14日と12月2日いずれも午後7時からです。
学校やお仕事帰りに、仏教を聞いてみませんか

ところで、きょう午前中は、福岡市の大谷派のM寺さんの仏教婦人会の方々が、バス旅行で法専寺にお参りくださいました。
お参りの方の中に、ふるさと直方に親戚がおられる方があり、私の実家の事情まで、よくご存じでした。世間は狭い。ドキッ

その方が、10年前に出した拙著を知り、ぜひ、会いたいとお参りくださったことでした。
有り難いことです。

お茶を召し上がる際にも、食前、食後の言葉を唱和され、本願寺派と違う大谷派の食事(何か口にする前後)の感謝の言葉に感銘いたしました。

遠路、お参りいただき、私自身が感動の時間に恵まれました。
ようこそ、ようこそ、ありがとうございました❗

午後は一転、孫のお友達が幼稚園帰りに多数参集。
本堂は体育館代わりに賑わいました。

やがて、彼らがおとなになった時、幼稚園で仏さまに手を合わせいたなあ、友達んちもお寺で走り回っていたなあ。と、お寺に親しみをもち続けてくれたら、うれしいことです。
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団体参拝

2016年11月09日 | 行事・案内
本願寺(西本願寺)のご門主が代替わりされたことをご縁とする「伝灯奉告法要」にお参りする、組(お寺のグループ)の団体参拝が昨日早朝出発。

法専寺からは、ご門徒さん5名+住職の計6名。 佐賀駅で見送りました。

残念ながら、私は留守番、
住職の代わりにお参りへ。

 午後2時からは、本願寺HPで中継されている法要中継にパソコン前で参拝。御影堂、阿弥陀堂共に、中継画面切り替えなから、拝見できます。
 
 組長さん(お寺の組長)が、内陣出勤しておられるのも画面に映りましたし、
法専寺のご門徒さんはわかりませんでしたが、参詣人の中にG寺のご門徒さんを見つけ、座席はあの辺りで、皆さんお参りされているんだなあと拝見しておりました。
 10ヶ月の孫もパソコン前の私の膝の上で、なぜか、おとなしく見ていました。
 たぶん、お勤めを「なんか聞いたことがある」と、感じていたのかもしれません。
 安穏とした昼下がりでありました。

 南無阿弥陀仏
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11月の言葉 その2

2016年11月07日 | 仏教
 東井義雄先生の言葉でつづる「ほのぼのカレンダー」今月の言葉は

 どことても み手のまんなか
 おかげさまの どまんなか


 本当に、そうです。
 「おかげさま」の どまんなかに 生かされ生きております。

 南無阿弥陀仏

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忙しい

2016年11月04日 | 雑感


「忙しい」とは、心を亡ぼすと書くので、あまりよろしくない と、聞いたことがあります。

 それ以来、なるべく「忙しい」と言わず「多用」を使っていますが・・・

 ここのところ、いえ、今に限ったことではないのですが、とても多用です。

 でも、その多用の中身の一部、いや、二部、三部?ぐらい、私の不注意による多用です。

 置き忘れの捜し物に費やす無駄な時間・・・などは、もう、しょちゅう。
携帯同様、眼鏡も音が鳴って欲しいくらいです。

 さて、先日夜のこと。
 寝る前の歯磨後、歯間ブラシを使っていたら、
奥歯の間にズボッと挟まり、取っ手がポキッと折れてしまい、歯間ブラシが、きっちり歯と歯の間に挟まって、取り出せない

 「うわっ、うわっ、どうしよう」と、内心焦って、何とか歯間から突き抜けているブラシを引っぱり、取り出そうと、毛抜きに挟んで引っ張るものの、挟まった本体は動かず、ブラシ部分がポキポキ折れて短くなり、ますます取り出せない事態に・・・
 「ギエッ~」
 しょうがないので、そのまま寝て、翌朝、一番に歯科に行き、歯間に挟まったままの まさに「歯間ブラシ」の残骸を取り除いていただきました。
 あ~あ

 写真は、きょうのウチから見た日暮れ空。

 それにしても連日、穏やかな天候に恵まれて19年ぶり佐賀で開催中の「熱気球世界選手権」(正式な世界大会ですから、例年の競技大会である、バルーンフェスタより、競技参加のバルーン数がかなり多いらしい)が順調、で連日、大盛況のようです。
 
 唐津では「唐津くんち」も大賑わい。

 私は「多用」で、どちらも見に行けそうにありません。

 本当に残念
 
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11月の言葉

2016年11月03日 | 仏教
法語カレンダー今月の言葉は(親鸞聖人「正信偈」の意訳勤行より)

 さとりの国に うまるるは
 ただ信心に きわまりぬ


 「さとりの国」とは、浄土、仏さまの世界。
 浄土に往生する(往って、仏と生まれる)のは
 ただ、阿弥陀如来に全ておまかせ する ことに極まる 

 
 仏教の信心は、自分が信じ込む信心ではなく、気づかされ、仏さまに頭が下がる(仏さまに頂く心)です。

 仏さまの智慧の光に照らされて、例えは悪いですが、レントゲン写真、今なら、CTやMRIなどで、自分の病気(体の悪いところ)に初めて気づくのと、同じように、
 
 仏さまの智慧の光に照らされて、初めて、それまで全く自覚症状のなかった、心の偏り・自分中心の物の見方に気づかされます。

 だからと言って、何の修行もできないし、ちょっと、善行したつもりで、自己満足、すぐいい気になってしまうし、そもそも「仏になりたい」とか「覚りの境地に達したい」な~んて、思いもしない、こんなお粗末な私が
さとりの境地に導かれるのは、阿弥陀如来の本願(私を覚りの境地に導いて、心の安穏をあたえたいと、願い誓ってくださっている仏願)にお任せする以外ないなあ~

と、味わせていただいています。
 
 


 
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