お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

「18歳」と「81歳」の違い

2018年06月15日 | 雑感
 6月14日、「なでしこ会」(法専寺女性のつどい)でした。(毎月15日ですが、都合により、今月は14日に変更)

 その折、お参りくださったMさんが
「人から頂いたコピーですが、面白かったから、皆さんにも笑っていただこうと思って・・・」
と、持参くださったのが、

 「18歳」と「81歳」の違い と、題した文。

 どなたの作か、わかりませんが、勝手ながらご紹介。

 ・ 道路を暴走するのが18歳
   逆走するのが81歳

 ・ こころが もろいのが18歳
   骨がもろいのが81歳

 ・ 偏差値が気になるのが18歳
   血糖値が気になるのが81歳

 ・ 受験戦争を戦っているのが18歳
   アメリカと戦ったのが81歳

 ・ 恋に溺れるのが18歳
   風呂に溺れるのが81歳

 ・ まだ何も知らないのが18歳
   もう何も覚えてないのが81歳

 ・ 東京オリンピックに出たいと思うのが18歳
   東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳

 ・ 自分探しの旅をしているのが18歳
   出かけたまま、わからなくなって皆が探しているのが81歳

81歳の方々は、まだまだ若く、お元気な方が多いです。
18歳は成人になりました。しっかりした若者も多いです。
ギャグですから、気分を害さず、余裕で笑ってください。


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誰でもどんな人にも

2018年06月13日 | 雑感


 写真は先日の生け花、アガパンサスです。


 里帰り出産後、まだ、こちらに在宅中の次女親子。

 次女長男・2歳のオムツを替えている私を見て、次女がつぶやいた。

 「新幹線で大変な事件を起こした人も、小さい時はみんな同じで、こうして、お祖母ちゃんにオムツを替えてもらったこともあっただろうに・・・」

 今回の犯人のことは、何もわかりませんが・・・

 自分を大切に思えない人は、人も大切に思えない。おかげさまも見えない。

 もし、自分は誰からも愛されていないし、必要とされていないと思っても、それは、見当違いな思い込みで
1人ひとり、大切な、奇跡のいのちを生きている存在。

 つい、自己中心の感受性ゆえ、つらいこと、うまくゆかないことがあると、自暴自棄になりがちな私ですが、そんな私をも見捨てないのが阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)。
 いつでも、どこでも、誰にでも、どんな人にも平等にそそがれる、仏の広大な慈悲をあらためて、有り難く思います。


 
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6月の言葉 その2

2018年06月12日 | 仏教
法語カレンダー 6月の言葉は

自力の 御はからいにては
真実の報土へ 生るべからざるなり


法語カレンダー解説の「心に響くことば」の中でT師は

 自らの知識や経験をもとにした善悪の判断とその行いによって、阿弥陀さまのお浄土に生まれることはできません

と、書かれています。

 自力とは、自分中心の価値観でのみ、生きる生き方といったところでしょうか。

真実の報土 とは、覚りの境地・浄土 ですが、

 阿弥陀如来の本願(煩悩まみれの私を浄土に導きたいと願われている)をシャットアウトし、
聞く耳をもたないのは、とても悲しく、残念であることを、
親鸞聖人は教えてくださっていると、味わせていただいております。

 

 
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お盆 その2

2018年06月09日 | 仏教
昨日ご紹介した本願寺出版社から出ている「季刊せいてん」夏号で、

お盆は盂蘭盆経というお経に由来するようです。

ただし、一般的に、お盆に先祖の霊が帰ってくる と、考えられているのは、日本の民族信仰に由来するそうで、仏教ではありません。

故人は臨終と同時に浄土に往生成仏する(浄土に往って仏と成る)真宗の教えでは、
故人はお盆に限らず、いつでもどこでも、私のそばにおられ、私を導き続けてくださる仏さまです。
覚りの仏さまですから、お盆だけ迎えだり、見送ったりする「霊魂」ではありません。

では、真宗でお盆はどうでもいいのか?

「季刊せいてん」の中で、真宗門徒にとってのお盆は
お盆休みで、家族が集まる時節であり、家族全員で仏教に縁をつなぐ(普段、日常に忙しい我が身を仏前にふりかえる)時、聞法の時であろうと
ご紹介いただいておりました。
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お盆

2018年06月07日 | 仏教


季刊せいてんの夏号、お盆についての特集、面白く拝読。
大変、勉強になりました。
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初夏

2018年06月06日 | 雑感


写真は生け花稽古。
かきつばた1種生け。

先日、晴天続きの頃、老人施設にお世話になっている母が
「昨晩は何も言われず、どこかに連れて行かれた。皆、一緒だったから、付いて行った」
と、言いました。
「何も言われず」はなく、本人が言われたことを覚えていないだけなのは、すぐわかりますが、
夜、この時期、例年..と推理?して、
「ああ、ホタル見物に連れて行ってもらったんじゃない
それを聞いて、母は記憶がつながったようで、私が帰る頃は
「昨晩はホタルを見に連れて行ってもらった
と、初めて語るように、話してくれました。

いいな、私はまだ小城にホタルを見に行ったことがありません。(佐賀の田舎ですが、近辺にホタルは飛びません)

枕草子の夏の風情。

夏はよる
月の頃はさらなり、
やみもなほ、
ほたるの多く飛びちがひたる。
また、
ただひとつ
ふたつなど
ほのかに
うちひかりて
行くもをかし。
雨など降るもをかし。

清少納言の時代は、ホタルがたくさん美しく飛びかっていたことでしょう。

私も順調に年を重ねたら、間違いなく記憶が低下し、認知症になるので、母がお世話になっている施設に私も入らせていただきたい。
そして、ホタル見物に連れて行っていただき、初夏を楽しめたら..と思ったことでした。


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6月の言葉 

2018年06月05日 | 仏教
 北部九州が5月28日梅雨入りした後、6月に入って昨日まで晴天で、最高気温が30℃を超える暑さでしたが、きょうは、梅雨らしいシトシト雨が降っています。

 東井義雄先生の言葉「ほのぼのカレンダー」今月の言葉は

 山の中にいると 山が見えない
 汚れの中にいると 汚れが見えない


 ご法話でよく言われるのは

 闇の中にいると闇はわからない
光りが差して、初めて「闇」がわかる

 鏡を見ないと、私の外見すら、見えないように
仏さまの智慧の光りに照らされて、初めて、私の心の濁りが見える(気づかされる)のだと
つくづく思い知らされます。

 
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組サマースクール

2018年06月03日 | 行事・案内


夏休み、子ども達がお寺に集う、組のサマースクールのご案内です。

 期日:8月1~2日 1泊2日
 場所:本願寺佐賀教堂
 対象;小学2年~中学2年生

 申し込みは、組内各寺に申込用紙がありますので、ご記入の上、所属寺にお申し込みください。
 申し込み締め切りは、7月5日
 
 
 初日のカレー作りと掃除お手伝いに私も参る予定です。

 対象年齢のお子さん、お孫さんがいらっしゃるご門徒さん、
ぜひ、ご参加くださいますよう、ご案内申し上げます。

 
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6月の行事予定

2018年06月02日 | 行事・案内
 6月の行事ご案内です

 6月 3日(日)組門徒推進員連絡協議会
 6月 4日(月)10:00 寺族(坊守)勉強会 於 本願寺佐賀教堂
 6月10日(日)15:00 「法専寺門徒のしおり」編集委員会

 6月14日 法専寺「なでしこ会」
 *15日を14日に変更しますので、ご参集をよろしくお願いします。

 
 6月15日 13:30 ビハーラ佐賀総会 於本願寺佐賀教堂
 6月15日 14:40 公開講座 講師:松尾整子先生 講題:書とうたでつむぎだすいのちの尊さ  
       参加費:ビハーラ会員無料、会員外1,000円

 6月23日 組仏教壮年会役員会
 6月24日 組仏教婦人(女性)大会  於 常立寺さま

  

 

  
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御恩報謝

2018年06月01日 | 仏教
鹿児島から帰った翌日、長年お世話になってきたM.Tさんのご葬儀、三日参りでした。

 法専寺に嫁に来て間もなく、母、前坊守を失い、
何もわからない私(我流で「坊守」を務めてきたため、今もなお、お寺の常識が身についていない私ですが・・・)を温かく見まもり、支えてくださったご門徒さんのお一人です。

お若い頃は、いつもご近所誘い合わせて、法座にお参りくださっていました。

 もちろん、法名(ほうみょう:ブディストネーム・本山で受式され、仏弟子としてのお名前)もお持ちでした。

 こうして、お一人、お一人、長年お世話になってきた方と今生でお別れするのは、悲しいことです。その上、お世話になるばかりで、私は何のお返しもできていません。

 そして、これからも、尊い仏さまと成られた故人に対して、私なんぞ、何のお返しもできませんが、
できる限り、いや、できないだろうけど・・・気持ちだけは、仏さまに報恩感謝の心を忘れないよう、生きてゆきたいと
あらためて思ったことでした。

 南無阿弥陀仏

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