今、私達の保津川下りの船が流れる
保津川水運の原点、それは‘筏(いかだ)流しに
端を発します。
その歴史は古く、最初に保津川に筏が
流れたのは平安時代以前にも遡ると
云われています。
亀岡の教育委員会の古い文献によると、
保津川の水運は延暦6年(787)の
長岡京遷都・造営用の木材が筏に組まれて
流れていった記録が残っています。
桓武天皇は6年後の延暦13年(794)、
平安京遷都で都を造営する大事業に着手しました。
都建設の大事業は大量の木材を必要としました。
その供給地を保津川上流地域である丹波国山国荘
の山林に求め、天皇により禁裏御料地にも指定しました。
同地域は当時から地質と気候が天然林に適する土地柄
であったことから、造営用に必要に杉、ヒノキ、松、アテ
などが豊富に生えていたのです。
しかもこの地は平安京の西部に流れつく桂川(保津川)の
上流であることから、水運という輸送手段により
効率よく大量に運び出せる方法がとれるという好条件の
場所でもありました。
筏による木材輸送は長岡京遷都から平安京遷都へと
都の移転の計画を積極的に推進する動機にも
なったことが容易に考えられるところです。
平安京造営という大事業を成し得た桂川の筏流しは
その後も需要が増加し、川沿いの集落に筏を組替える
中継地となる浜(津と呼ばれた)各所に造られ、
地場産業として定着することになったのです。
中世には近衛家の所領として「保津筏師荘」が
あり、また、豊臣秀吉も保津や山本などの
筏師保護する政策がとられるなど、桂川水運による
材木運搬の重要性を当時の支配者が
しっかり認識していた後が窺えます。
安土桃山から近世になると京都、伏見、大坂など
で城や都市建設が盛んになり、材木の需要はさらに
増加しました。地理的にも輸送手段的にも経費が
掛からない桂川の筏は木材流通に欠かせないルート
だったことがわかる。
嵯峨の天竜寺、大坂城、伏見城などの建設用の
木材も保津川を筏に組んで流れていったのです。
この筏は私達遊船の船が流れた江戸時代にも
並行して流れていましたが、明治時代に入り
鉄道が普及したことで、その長い歴史に
幕を閉じました。
しかし、筏事業が京都の遷都計画を進ませ、その後も
長らく京都を支えてきた水運業であったことは
誰も異論がないところだと思います。
私達、保津川下りもこの400年を迎えるに際して
その水運の原点である筏の存在に思いを馳せて
後世に伝えて使命を感じています。
保津川水運の原点、それは‘筏(いかだ)流しに
端を発します。
その歴史は古く、最初に保津川に筏が
流れたのは平安時代以前にも遡ると
云われています。
亀岡の教育委員会の古い文献によると、
保津川の水運は延暦6年(787)の
長岡京遷都・造営用の木材が筏に組まれて
流れていった記録が残っています。
桓武天皇は6年後の延暦13年(794)、
平安京遷都で都を造営する大事業に着手しました。
都建設の大事業は大量の木材を必要としました。
その供給地を保津川上流地域である丹波国山国荘
の山林に求め、天皇により禁裏御料地にも指定しました。
同地域は当時から地質と気候が天然林に適する土地柄
であったことから、造営用に必要に杉、ヒノキ、松、アテ
などが豊富に生えていたのです。
しかもこの地は平安京の西部に流れつく桂川(保津川)の
上流であることから、水運という輸送手段により
効率よく大量に運び出せる方法がとれるという好条件の
場所でもありました。
筏による木材輸送は長岡京遷都から平安京遷都へと
都の移転の計画を積極的に推進する動機にも
なったことが容易に考えられるところです。
平安京造営という大事業を成し得た桂川の筏流しは
その後も需要が増加し、川沿いの集落に筏を組替える
中継地となる浜(津と呼ばれた)各所に造られ、
地場産業として定着することになったのです。
中世には近衛家の所領として「保津筏師荘」が
あり、また、豊臣秀吉も保津や山本などの
筏師保護する政策がとられるなど、桂川水運による
材木運搬の重要性を当時の支配者が
しっかり認識していた後が窺えます。
安土桃山から近世になると京都、伏見、大坂など
で城や都市建設が盛んになり、材木の需要はさらに
増加しました。地理的にも輸送手段的にも経費が
掛からない桂川の筏は木材流通に欠かせないルート
だったことがわかる。
嵯峨の天竜寺、大坂城、伏見城などの建設用の
木材も保津川を筏に組んで流れていったのです。
この筏は私達遊船の船が流れた江戸時代にも
並行して流れていましたが、明治時代に入り
鉄道が普及したことで、その長い歴史に
幕を閉じました。
しかし、筏事業が京都の遷都計画を進ませ、その後も
長らく京都を支えてきた水運業であったことは
誰も異論がないところだと思います。
私達、保津川下りもこの400年を迎えるに際して
その水運の原点である筏の存在に思いを馳せて
後世に伝えて使命を感じています。