保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

はっちん、大悲閣へ街道をゆく。

2006-07-30 23:48:54 | 京都情報
嵐山・渡月橋の南畔に大堰川上流へと向かう小道がある。
小道の入り口には「花筏」や「嵐峡館別館」などの旅館が
建ち並び川沿いには屋形船の乗り場があり閑静な風情を漂わせる。

この大堰川沿いの小道を1km上流へ上がった最終地点に
角倉了以が建立した「大悲閣・千光寺」がある。

大悲閣参道入り口に近づくと松尾芭蕉が詠んだ「花の山、二町のぼれば大悲閣」
と刻んだ石の句碑が現れる。
作家・司馬遼太郎は「芭蕉にしては気の毒のような出来である」として
「おそらく地元の句会の挨拶句だったのだろう」とこの句を評価しているが、
「景観の大きさがよく表現されており、舟遊びでの花のある雰囲気をつくる
べく努めていることがよくうかがえる」と当時の嵐山と大悲閣の有り様を
表現したものだと語っている。大悲閣も以前は華やかさの漂う寺だったようだ。


句碑を抜けると大悲閣の山道の入り口に出る。
左に行けば大悲閣、右に行けば料理旅館・嵐峡館だ。
嵐峡館は嵐山で最も古い由緒ある旅館で映画「流れ板七人」
の撮影現場になったこともある旅館だ。

大悲閣山道の入り口には「大悲閣」と書かれた大きな石碑と
石柱の門がある。ここからつづら坂を200mほど登っていくと
大悲閣境内に辿り着けるのだ。

つづら坂は曲がりくねった急な坂道が多く、中間点でも十分息が切れて
くるので、休憩所も設けてあり一休みする参拝者が多いという。


そして坂を登ること5分、大悲閣の境内に到着。

愛想のいいご住職が冷たいお茶と角倉饅頭を用意して迎えて下さる。
ご住職はこの人里離れた山深いお寺で暮らし修行されている。
ただひたすら仏門の道を探求されている純粋な熱情の人だ。
彼もまた男組といえよう。

大悲閣の本堂は、暴風雨によって全壊し横に仮本堂が建てられている。
木造の了以像が祀られている客殿(月見台)今はここが本堂代わりだ。
角倉了以が保津川開削工事で尊い命を落とした人々の菩提を
弔うために建立した寺であるため、檀家という者はない。
その意味でも京都の有名総本山や観光寺のような裕福さとは
一切無縁だ。しかし、このにこそ確かに仏の精神が活き活きと
満ち溢れている様に感じる。

自然の静寂に包まれたこの質素な山寺で、今、自分は自分の
心と向き合うのだ。

つづく・・