保津川下りの船頭さん

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基本と初心を忘れず、我が空手修行の意義。

2006-10-11 01:12:20 | 空手・格闘技
どのような分野においても一芸を極める為には、基礎となる基本が
最も大事であることは言うまでもありません。

自分が生涯をかけて極めようとする空手道の世界でも例外ではありません。

昔、極真空手の創始者である大山倍達先生が
「握り方三年、立ち方三年、突き方三年、合計九年経たないと空手の門には立てない」とよく語られ常に基本を意識することの大切さを説かれていた。
夜、突然目が醒め「本当にこの拳の握りで間違いはないのか?」という
疑問が沸きあがり布団から飛び上がる事も日常茶飯事とも仰っていました。

拳聖と呼ばれた武の達人・大山倍達先生にしてもそうなのです。

自分ごとき、道半ばの青二才には至極当然に自覚せねばなりません。

しかし慣れとは本当に怖いものです。
シンプルで単純な「基本」は、年月が経つとマンネリ感と当り前感が
出て解かったつもりになり散漫な意識の中、ついつい勘違いしたまま
流してしまうことが多いのです。

勘違いしたまま、このような稽古を続けていても、若い頃は体力と勢い
で上達でき、試合でも結果を出せたりすることがままあるから始末が
悪く、「基本の重要性」も徐々に意識しなくなるのです。

しかし「基本」を疎かにしていた者は、必ず頭打ちとなり、
一定のラインから上達が鈍り、年齢とともに成長は止まっていくもの
だと最近特に感じることが多くなりました。
いったん頭を打ち出すと、結果を残せていた頃の過去の栄光が
忘れられず、焦ってノタウチ回ってみたものの結果は出ず、
挫折感と失意の中で、その分野から淋しく去っていった者も
少なくないのです。
そんな時、自らを省みることを怖れず基本に立ち返り、修行し直した者
は、その大きな壁を乗り越えられることが出来るのだと思います。

冒頭の大山先生の言葉にある‘九年’という年数も、実年数ではなく
時間の例えで、それくらい長い年月を「基本」という地味で
単純な反復練習に費やさねばならないという意味なのでしょう。
何事もスピード化の時代、インスタント全盛の今日では
地味で単純な基礎つくり作業は、辛気臭くて敬遠されがちです。
空手技でも、器用な人なら2~3度見たら真似事の様な格好は
すぐに出来てしまうかもしれません。
しかし、一撃で相手がひっくり返るような、大山先生の様に猛牛まで
一撃でひっくり返る様な「本物」の正拳は生まれてはきません。

本当に生涯通用できる「本物」の技は気の遠くなるような
基本の反復練習の中からしか生まれません。
「急がば回れ」ということわざがあるように空手の世界でも
最後に勝つのは基礎がしっかり出来ている者なのです。

基礎ができている者は、生涯忘れない「本物」の技術が
自らの体にしっかり練り込まれています。
空手で学んだ「基本」の大切さ、初心に立ち返る謙虚さを忘れず、
何事においても通じ、常に自らの慢心を戒め、人生においても
「本物の人」になれるよう「基本と初心」を忘れない事が肝心です。

「人生にも通ずる悟り」ここに「我が空手修行」の意義を
見出すことが出来と日々感じているのです。