保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

丹波亀山城のお堀で芝居をするということ。

2006-10-20 22:04:30 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
22日に催される「角倉了以の夢開削・水の庵」の
会場となる旧丹波亀山城址・南郷池は別名「南郷のお堀」
とも呼ばれています。

南郷のお堀は保津川の支流・雑水川の水を流し込んで貯め込み、
城を守るお堀として作られたもの、築城当時は北側をお堀と保津川で
守り、難攻不落の強固な城として名を馳せた。

亀山城は織田信長の命により、天正6年(1578)頃に明智光秀が
築いたお城で、光秀はこの城を軍事的拠点にして丹波地方を
平定したといわれます。
光秀亡き後は羽柴秀勝が居城したが、慶長14年(1609)に天下普請」により
幕府が西国大名に命じた岡部長盛が城主のとなり、大坂の豊臣氏を
攻める包囲網の拠点城でした。

天守閣は藤堂高虎が伊予今治城を移築したといわれ
当時としては珍しい層塔型の五層天守があったそうですが、
明治維新後、新政府に危険度の高い城と位置付けられ
廃城となり解体されました。

歴史学者によるとそのまま残されていたら世界遺産にも登録されて
いる兵庫県の姫路城と同格の価値があったそうです。

今この丹波亀山城は宗教法人・大本さんの聖地となっており
天守閣址へは入れませんが、この南郷のお堀だけは河川という
ことで府が管理しております。

そんなお堀に今、角倉了以翁が始めた保津川下りの船が浮んでいます。

戦国から安土・桃山を経て江戸幕府へ、そして明治維新から近代まで
日本の歴史の激動期を見続けてきた亀山城。そのお堀を舞台として、
角倉了以翁の芝居が出来ることをとても光栄に思います。

また、それ以上に大きなプレッシャーを感じている私なのです。