今日、400年記念計画で多忙な日々の
隙間を縫って「男たちの大和」を観てきました。
この映画は、私の友人数名が出演している作品として、
制作段階に入った2年前から配役やストーリー展開など
の話を聞いていたので、一日も早く観ておきたかった
作品なのです。
今からわずか60年前、祖国と愛する人を守りたい一心で
自らの命をなげだした若者達。その悲しくも誇り高く
生きる姿を今年度の日本映画最大のスケールで描く大作です。
物語は鹿児島の漁村にひとりに女性がやって来てくる
ところから始まります。その女性は
「北緯三十度四三分、東経一二八度四分へ行きたいのです」
と漁協で願い出ます。
その場所こそ、60年前に悲劇の大戦艦「大和」が撃沈した場所でした。
偶然彼女を乗せた漁師神尾こそ大和の生き残りで、
彼女の父内田曹長を知る人だったのです。
ストーリーはまだ観てない人が多くおられると
思うので、この辺までにしておきますが、
この映画は古典的な戦争映画ではないことだけは確かです。
しかも、従来の戦争映画のような特別な上級軍人達の
英雄ストーリーはなく、下士官や二等水平という大勢の
無名戦士達の目線で描かれているのが新鮮でよいのです。
その当時を生きた若者なら皆が持っていたであろう愛するもの
への心情を、出演者全員が体全身で演じているのを感じました。
映画は大和の乗組員のひとりひとりに人生があり
家族がいる。その愛する家族を、友を、祖国を
守りたいその一心で「水上特攻」という死が確実な
作戦に向かう乗組員の葛藤と悲しみが随処に描かれています。
特に最愛の家族のとの最後の別れのシーンは涙を誘います。
この作品の主旨である「死ぬことの意味」と
生き残った者が背負おう「生きることの意味」、
また「戦争の悲惨さ」という重要なテーマを
真摯に描き切っていたと感じます。
映像の面では、尾道に実寸スケールの大和を
全体の約1/2にも及ぶ範囲で再現して、
実際の戦闘風景を最新のデジタル技術を駆使した
スペクタクル映像で描き、戦闘の悲惨さ、恐怖を
リアリティーある迫力感に溢れる映像に
仕上げています。
私が特に印象に残ったシーンは、死を賭けて戦う意味を問う
兵士達に長島一茂演じる臼淵大尉が説得するところです。
大尉はこう発言しています。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めるのが
最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるのか。
今、目覚めずしていつ救われるのか。
俺たちはその先導になる。日本の新生にさきがけて散る。
まさに本望じゃないか。」
負け戦に身を捧げ、その失敗から学び、立ち上がる
新生日本に、次の世代に希望をかけ死んでいった人達。
僅か60年前の出来事です。
新生日本はこのような多くの犠牲の上に、
失敗から学び、力強い復興を成し遂げました。
が、それと同じく、あの時代の人が備えていた
規律や礼儀、潔さや勇気など失ったものも多いと
感じます。
これらの人達は、あの世から今の日本の姿を
一体どのような気持ちで見ているのでしょう。
時代は移り、戦争をリアルに語れない世代へと
日本は移っていきつつあります。
今の日本は私的な経済繁栄、物質的欲望に
うつつを抜かし真の進歩を軽んじてはいないか。
臼淵大尉の言葉が聞こえてくるようです。
私達は敗れて目覚める。
死者は黙して語らず、戦争体験者も少なくなる中、
このような映画を私達戦争を知らない世代が観て
後世に語り伝えていくことこそが戦没者たちへの
最高の供養になると信じます。
隙間を縫って「男たちの大和」を観てきました。
この映画は、私の友人数名が出演している作品として、
制作段階に入った2年前から配役やストーリー展開など
の話を聞いていたので、一日も早く観ておきたかった
作品なのです。
今からわずか60年前、祖国と愛する人を守りたい一心で
自らの命をなげだした若者達。その悲しくも誇り高く
生きる姿を今年度の日本映画最大のスケールで描く大作です。
物語は鹿児島の漁村にひとりに女性がやって来てくる
ところから始まります。その女性は
「北緯三十度四三分、東経一二八度四分へ行きたいのです」
と漁協で願い出ます。
その場所こそ、60年前に悲劇の大戦艦「大和」が撃沈した場所でした。
偶然彼女を乗せた漁師神尾こそ大和の生き残りで、
彼女の父内田曹長を知る人だったのです。
ストーリーはまだ観てない人が多くおられると
思うので、この辺までにしておきますが、
この映画は古典的な戦争映画ではないことだけは確かです。
しかも、従来の戦争映画のような特別な上級軍人達の
英雄ストーリーはなく、下士官や二等水平という大勢の
無名戦士達の目線で描かれているのが新鮮でよいのです。
その当時を生きた若者なら皆が持っていたであろう愛するもの
への心情を、出演者全員が体全身で演じているのを感じました。
映画は大和の乗組員のひとりひとりに人生があり
家族がいる。その愛する家族を、友を、祖国を
守りたいその一心で「水上特攻」という死が確実な
作戦に向かう乗組員の葛藤と悲しみが随処に描かれています。
特に最愛の家族のとの最後の別れのシーンは涙を誘います。
この作品の主旨である「死ぬことの意味」と
生き残った者が背負おう「生きることの意味」、
また「戦争の悲惨さ」という重要なテーマを
真摯に描き切っていたと感じます。
映像の面では、尾道に実寸スケールの大和を
全体の約1/2にも及ぶ範囲で再現して、
実際の戦闘風景を最新のデジタル技術を駆使した
スペクタクル映像で描き、戦闘の悲惨さ、恐怖を
リアリティーある迫力感に溢れる映像に
仕上げています。
私が特に印象に残ったシーンは、死を賭けて戦う意味を問う
兵士達に長島一茂演じる臼淵大尉が説得するところです。
大尉はこう発言しています。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めるのが
最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるのか。
今、目覚めずしていつ救われるのか。
俺たちはその先導になる。日本の新生にさきがけて散る。
まさに本望じゃないか。」
負け戦に身を捧げ、その失敗から学び、立ち上がる
新生日本に、次の世代に希望をかけ死んでいった人達。
僅か60年前の出来事です。
新生日本はこのような多くの犠牲の上に、
失敗から学び、力強い復興を成し遂げました。
が、それと同じく、あの時代の人が備えていた
規律や礼儀、潔さや勇気など失ったものも多いと
感じます。
これらの人達は、あの世から今の日本の姿を
一体どのような気持ちで見ているのでしょう。
時代は移り、戦争をリアルに語れない世代へと
日本は移っていきつつあります。
今の日本は私的な経済繁栄、物質的欲望に
うつつを抜かし真の進歩を軽んじてはいないか。
臼淵大尉の言葉が聞こえてくるようです。
私達は敗れて目覚める。
死者は黙して語らず、戦争体験者も少なくなる中、
このような映画を私達戦争を知らない世代が観て
後世に語り伝えていくことこそが戦没者たちへの
最高の供養になると信じます。