散歩日記X

札幌を中心に活動しています。食べ歩き・飲み歩き・ギャラリー巡り・読書の記録など

高い本を買った

2019年06月23日 22時10分41秒 | 読書
私、毎月のように結構な金額を本に突っ込んでいるのだが、あまり高い本というのを買ったことがない。しかし、今回、結構な大物を買うことになったのだ。新潮社とんぼの本「国宝」を持ってはいるのだが、ある日突然「国宝の全リストって無いのかな?」と思い、検索してみたところ、「国宝事典」という本があるではないか。しかもつい最近、40年ぶりに新版が出たというのだ。
 
これは買うしかないと思ったが、札幌の本屋さんにはさすがに置いていない。ということで取り寄せてもらい、先日取りに行ったのだが、あまりにも重い。普通ならば根性で持って帰るところなのだが、パソコンを持っていた上に、その後、飲み会だったので断念。無料で配送してもらえるというので、日曜日に送ってもらうことにした。
 
そんな訳で、日曜日にスライドしたギャラリー巡りも少し早く帰ってくることになったのである。
 
 
うーむ、楽しみだ。
 
 
やっぱり単にページをめくるよりも、どの国宝を見たことがあるのかチェックしながら見たい。そのためにはブログ記事も多少は頼りになるのだが、しまい込んでいる展覧会の目録を全部出して来ざるを得ない。かなり大掛かりな作業になりそうなので、地道に少しづつやるか、定年後の趣味にするべきか、どうしたものだろうか。

20190623ギャラリー巡り

2019年06月23日 14時36分46秒 | ART
本日は市民→松崎ビル→SONY→さいとう→スカイホール→三越→富士フイルム→大通→道新→チカホ→紀伊国屋→近美の12か所。
 
昨日はギャラリー巡りをさぼったこともあり、まだ少し小雨残る中を出発。
 
 
■市民ギャラリー「第74回全道展」。あまり力を入れすぎず、それでも目についたものだけを見る。
水口司「沖縄の記憶2019」:沖縄の墓とモニュメントのような、いや手りゅう弾にも見えるようなモチーフ。
佐藤仁敬「Painting」:人体をあえて荒々しく塗り、特に顔は鼻より上の造作が見えないように塗りつぶされている。
杉吉篤「重い羽」:黒い服を着て宙に浮かぶ人物。羽には4つのペンダントのようなものが下がり、浮遊感が全くない。
 
武藤富子「史石「堆P8」」:大岩のある崖にも、何かの結晶構造のようにも見える。いや、抽象画のようでもあるな。
加藤博希「あふれる」:巨大な人の顔の上に、何となくエレクトリックなイメージ。
高田健治「流線」:筆跡だけを残したような作品だが、風か空気を描く取り組みのようにも思える。
 
松木眞智子「Water Vein I」:中心部から水色が爆発する作品。
佐々木ゆか「泡沫~華~」:水面に顔だけ浮かぶ女性。赤い服と広がる髪が、その女性性を増している。セイレーンのイメージかも。
下田徹「追憶II」:透明のパイプによるらせん構造と泡のようなものが描かれている。追憶のイメージがこうなるというのはどこか不思議。
 
宮下淳「Bird」:無残に地に落ちて死す鳥。救いのなさを感じる。
 
 
■松崎ビル「第1回 石の祭典 さっぽろミネラルリトルフェア」。化石、岩石、輝石、アクセサリーなどを集めた展示会。目立たないビルに思った以上に子どもたちも訪れていた。
 
 
ふう、やっと天気が少し良くなってきたぞ。
 
 
■スカイホール「渡会純价展-scribbleから」。オーケストラをテーマにした作品があるから当然ともいえるが、それ以外の作品からもどこかしら音楽的な要素を感じる。
 
■チカホ「つながろう2019 終わりとはじまり」。全体的にいろいろともの思わせる作品が多かった。
野村裕之「中川ライター店が残したプラバンと今も続く年経た少年の夢について」:札幌の模型ファンなら何となくわかるような。
 
 
梅田力「無題」:最近、この方の作品を見かけるね。
 
 
西本久子「東雲」:下の木枠で出来た立方体も含めた作品だと思ったら、違うようだ(木枠は別の所にも置いてあった)。そうだったら、写真の撮り方ももう少し違ったのだが。
 
 
上嶋秀俊「いのちのかけら」:いいね。火の玉のような、隕石のような。
 
 
熊谷文秀「発芽」:ストーブの上から気の芽のようなものが出ている。金属がいつか有機体になるのかもしれないし、金属のまま進化しようとしているのかもしれない。
 
 
朝地信介「跡」:文明か、それとも火山か天変地異か。何者かが残した跡の表現。
 
 
菱野史彦「巡る」:めぐる円環の形も良いし、影の形もいい。
 
 
中島義博「雨季」:密林に侵入し木の実を食べる魚のイメージなのだそうだ。生き物には計り知れないやつがいそうだ。
 
 
八子直子「はじまりのおわりのはじまり」:うーん、何とも表現しにくい。
 
 
畑江俊明「流れの、始まりと果てに」:空間の中を何かが通り過ぎながら、形を残していく様か。
 
 
Kit_A「爆発」:自らのおなじみのモチーフ、ロードコーンを吹っ飛ばす。
 
 
谷口大「~変容との対話~」:地下歩行空間に生えた小さな遺跡。
 
 
戸山麻子「果てしない物語」:水色の森。
 
 
志摩利希「閉じていて開いている家」:古い家の中にまだ生きているものがあった。
 
 
かなり天気は良くなり、ちょうど良い気温になって来た。
 
 
■北海道立近代美術館「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」。
「唐招提寺御影堂障壁画 山雲」:見上げる山、日本の風土とそこにある湿度と匂い。深山に分け入った思いがする作品。これは日本のミュシャ「スラヴ叙事詩」かもしれない。
「唐招提寺御影堂障壁画 濤声」:こちらは海を見つつ散策する思いがした。どこなく涼やかにさえ感じる。
「唐招提寺御影堂障壁画 桂月月宵」:縁側から朧月を見上げるかのようだ。
 
それぞれの作品の下図、割出図、試作が途中に展示されているのだが、これだけ周到にプロトタイプを作るのかと、その仕事ぶりの丁寧さを感じた。我が身を振り返り、少々情けなくなる。
 
「唐招提寺御影堂障壁画」は上記のように素晴らしいパートがあったのだが、樹木を描いて、どうにも上下に寸詰まりにように見えるものもあった。世の中の評価はどうなっているのだろうか。
 
「雲中層嶂」:薄墨による山がものすごいリアルさを伴って見える。
「年暮る」:京都の小さな町家に雪が降っている。少し大きな三角屋根は寺だろうか。繊細で良い作品だ。
 
もう少し空いているときに見たいような気がして来た。一部、後期に展示替えがあるので、もう一度行きますか。
 
 
常設展も内容が変わっているはずなのだが、疲れて見に行けず、飲み物休憩。何か複雑な名前の飲み物だったが、味はアイスココアという感じだった。
 
 

ウキウキする

2019年06月23日 12時16分26秒 | 食べ歩き
今日の昼食は日曜日とあってどこに行こうか迷い、思わず大通を西方面に進んでしまった。そこで課題点があることを思い出し、西7丁目の寿司屋さん「ST」へ。先客のご婦人二人組がいたが、カウンター席は空いており、端っこに着席。なかなかのお得メニューであるらしい、生ちらしを注文する。お茶を飲んで待っていると、立派なちらしがやって来た。



これはすごいんじゃないか? イカ、ゲソ、ホタテ、マグロ、サーモン、しめ鯖、かんぱちのようなのが2種、もう一つ光ものがあったような、煮タコ、海老、玉子、イクラ、トビッコ、さらに陰にはかまぼこが1枚忍ばせてあった。この立派なネタにウキウキせざるを得ない。

あまりにも具沢山の所を食べ進んでいくと、マグロ、かんぱちのような奴、ホタテ、煮タコが非常に嬉しい味。それ以外のものももちろん、中々イケるレベルなのである。吸物には海苔、椎茸が入っており、ご飯の量もそこそこあって昼食としても満足であった。

私の後に数組の客が来ていたが、なるほどこれは人気だろう。ちょっと調べて見ると、私の食べたことのある生ちらしでもトップクラスの値段ではあったが、それ以上に今日の昼めしは良かった、という感じがする。