いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

Brutal politeness

2007年05月19日 21時58分13秒 | インド・3回目・シンガポール
- - I didn't want to learn Japanese because I disliked them; they were very brutal. - -

Lee Kuan Yew, 『Keeping my Mandarin Alive』




シロソ砦の話から、シンガポール国立博物館の日帝統治期間、昭南島時代、の展示に再び戻って。

当時シンガポールで出版あるいは日本から持ってきて流通していた文書の展示。 日本は禮儀の正しい国ですという自己認識が書かれている。 朝日新聞の展示と並んで、プロパガンダのサンプルの展示である。

上記、リークアンユーセンセをはじめ、シンガポールの支那人はだれも、日本は禮儀の正しい国なんておもっちゃいなかったであろう。

リークアンユーセンセの証言;

日本の支配が始まった最初の数日間は、通りで万年筆や腕時計を持っていた人は日本兵にすぐに取り上げられた。兵士たちは公式の捜査で、あるいはそう装って家に押し入り、個人的に着服できるものを奪っていった。日本兵は高級な自転車を取り上げたが、数週間でそれは止まった。日本兵のシンガポール滞在時間は短く、より広大な領地を獲得するためにジャワ島やその他の島々へ向かい、自転車は持っていけなかったのである。


それにしても、negative/positive問わず、自画像(自分中の「日本」像)と他人がどう見ているか(つまりは他人の中での「日本」像)の、時に大きな、相違は、昔から今に至るまでの、ぬほんの挙動不審の源泉である。

さらには、他人のもつ「日本」像が、自分の都合/ナルシズムを満たすのあれば、その相手を好きになり、逆だと、反日とののしるのは、よく見る真性ばかである。

これは、ウヨサヨ関係ないのであって、日本に感謝する外国/人を無条件で喜ぶウヨと従軍慰安婦をはじめ日本への怨念を証言する外国/人を重宝するサヨは、典型的ぬほんずん的双生児といわねばならない。