いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

西部邁 北海道 アメリカ

2021年01月27日 18時42分23秒 | 日本事情

些細なことです。西部邁の文章で整合性の無い見解を示すものを2つ見つけたので、メモしました。そのメモの前置きが長くなりました。



ケプロンと黒田清隆の像。札幌大通り公園。2018年、札幌散歩(愚記事)にて。

愚ブログを初めて間もなくの2005年の愚記事「プロフィール」において偏愛マップ、偏憎マップが掲げられている。憎むものとして、「米英」と「薩長」が挙げられている。そういうキャラで行こうとしたのだ。事実、そういう考えをしていたし、今もその延長線上にいる。さて、おいらが生まれ育ったのは北海道の札幌だ。その札幌の創建には「米」と「薩長」が決定的。札幌大通り公園にケプロンと黒田清隆の像が立っている。なお、この像が立てられたのは1967年。明治100年の記念を背景としているに違いない。薩摩の黒田清隆は明治新政府の開拓使の長官で、ケプロン(wiki)は招聘された専門家・開拓使顧問である。(なお、黒田清隆は、大日本帝国が亡びて、招聘してもいないアメリカ人が来るとは予想だにしなかったであろう)

つまりは、札幌は都市建設の頃からアメリカと縁が深い。2005年の「プロフィール」を書いた時は、この札幌と薩長、米国との関係をそんな意識はしていなかった。2005年の「米英」と「薩長」は先の大戦と戊辰戦争を意識したものだった。

■ 西部邁とアメリカ

さて、西部邁。西部は、北海道は日本の中の「アメリカ」だという。理由は歴史がない、「流れ者」(西部はこういうもの言いはしていない)の地だから。西部は、学術書以外のデビュー著作は、『蜃気楼の中へ -遅ればせながらのアメリカ体験-』という東大助教授時代の米英滞在記だ。そして、人生後半はアメリカ流の改革批判、イラク戦争批判とアメリカについて語っている。一方、西部は、自分は反米主義者であるとは認めなかった。例えば、次のように云っている;

私は、反米主義者では絶対ないが、間違いなく反親米主義者ではある。1995年、西部邁、『破壊主義者の群れ』

つまり、アメリカ化した日本人を嫌い、批判しているのだ。これは、西部の大衆批判の基調だ。戦後日本人がアメリカ化して大衆化(高度な教育と高所得を得て、専門人となって暮らしていくこと、ただし、伝統に根付く安定感がない)だという見立てだ。どこかで、アメリカ化=大衆化=hedonism (快楽主義)と批判していた。

■ 西部邁とアメリカと北海道

西部は自分の属性で道産子であることは決定的であると云っている。北海道と自分の関係が自分を考える上で重要であるということだ。そして、北海道とアメリカの関係についてもしばしば言及している。ところで、相反する見解の2発言を見つけたので、メモとする。

(前略)天皇が無事でおられたのはアメリカの温情によるという事実にある種の屈辱感を感じつづけてもいたし、アメリカ軍に守られているくせに葉巻をくわえている首相の姿に権柄ずくを感じてもいた。「かつての敵に守られている」ことへの腹立ちを大人たちから聞いたことがなかった。それが私を反「親米」へと傾かせたのだと思う。しかし札幌は、あらゆる面で、アメリカを模範とすべき、という雰囲気に包まれていたように思う。西部邁、『無念の戦後史』、2005年。

 

 大人たちで「アメリカは立派だ、アメリカに見習え」と言いつのっていた者に出会った体験は、Mも僕も、あまり持っていないのです。そういう(昔ふうに言えば)ハイカラな人々に会うことになったのは、後年、東京に出てきたからのことで、だから両名は、ずっと、東京文化に軽佻浮薄を感じてもきました。北海道では、そこが「日本のなかのアメリカ」とも言うべき移住者の地であったにもかかわらず、アメリカ文明への露骨な礼賛は聞かれなかった、と言ったほうが真実が近いでしょう。聞かれたのは、せいぜいのところ、「アメリカのおかげで北海道分割が阻止された」というくらいのことでした。西部邁、『妻と僕』、2008年。

西部は自分の同じ体験を何度も違う本で文章にして語る。その一連の文章は、数十年にわたって、整合的である。でも、わずか3年のあいだで違う見解だ。整合性をもたせようとすると、2005年の文章が札幌についての言及であり、2008年の文章が北海道への言及であること。札幌と北海道を区別しているということか?

西部は、愛憎(アンビバレント)とか矛盾とか境界(異質なものが接するところ)での身の処し方、平衡を取ることに価値があるという思想の持ち主だ。イメージは尾根道を左右の谷に転落することなくきわどく渡り切ることである。その観点からみると、北海道/札幌が「親米」である・ないというのは、「矛盾的な境界」なのであろう。そして、北海道/札幌が「親米」である・ないという認識は、西部の北海道への愛憎半ば(つまり、北海道を愛すべきか、憎むべきかの悩み)と連動している。