いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第435週

2023年03月18日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第435週

■ 今週の草木花実

■ 今週のキリ番順位

■ 今週借りて読んだ本

 村井理子、『兄の終い』

<荊の簪を挿した御方様>が借りていた本。実兄が孤独死して、その対応をする話。淡々と書いている。事情はこう⇒孤独死した兄のこと。興味本位、好奇心から面白かった。Amazonのレビューも多い。淡々としるので、情念めいたドラマはない。

作品で、わざとだと思うのだけど、なぜ兄が生まれた地でもない宮城県多賀城市に行き、暮らしたのか。読んで、謎と思った人もいるだろう。それが問題提起なのか。読むに、2011年の震災の後に多賀城に移った。作品では親切にしてくれた自動車販売店が震災で津波被害にあったことが書いてある。

結婚もして子供もいる50代男性が病死する。生い立ちが簡単に書かれていて、学校でおりあいがつかず、高校を中退した。その後、会社経営もやっていたようなので、知的、対人能力はむしろあったに違いない。でも何か、性格的にあったのだろうか?母親が一貫してこの兄をかばっていたことも書かれている。

なお、兄が孤独死した多賀城市の警察の管轄は塩釜警察署とこの作品で知る。仙台市の北が多賀城市でその北が塩釜市。その塩釜警察署から著者のところへ電話連絡が来ることで、この話は始まる。

■ 今週の警察署:塩釜警察署

村井理子、『兄の終い』に塩釜警察署が出てくる。塩釜警察署といえば思い出すことは、どうでもいいことだが、1937-38年の人民戦線事件(コトバンク)[あるいは、労農派教授グループ事件]で宇野弘蔵が仙台で逮捕された時に連行、留置された警察署だ。ほんと、どうでもいいことだけど。

1938年2月1日、宇野弘蔵逮捕。特高刑事と予審判事が令状を持ってきた。

ぼくは警察に行って話をしたらすぐ帰れると本気で思っていたからだ。そうしたら特高課長が、「しばらく休んでもらいましょう」といった。妙なことをいうな、いったいどこで休むのかと思って。仕方がないから車に乗せられて、刑事が両方へついて、どこへ連れていかれたか本当にわからなかった。(警察署の裏から入ったのでそこがどこかわからず)留置場にすぐに入れられた。何日たっても差入れがない。ぼくには二月一日に入って三月十日ぐらいまでぜんぜん差入れを許されない。一種の拷問かと思ったのだが、拷問しようとしたんじゃない。警察は東京からの指令であげんたんで、それがために仙台のほうの特高でないか手落ちがあったらいかんという、それを恐れて差入れも全部とめたんだ。

三月十日過ぎに警視庁属というのが来て、初めてぼくは二階に連れていかれた。見たら下にすぐ塩釜の港があるのでびっくりした。こんなところに来ていたのかと思って、知らなかったのだ。なにか汽車の音と汽笛がしゅっちゅう聞こえるんだけど、どこかと思っていた。 (宇野弘蔵、『資本論五十年 上』)

■ 今週の再版・新刊

ヘーゲル 自由と普遍性の哲学 (河出文庫 に 6-3) 文庫 Amazon

28年を経ての再版。内容がどれだけ変わったのかは、不明。

1995年刊

成長して、折り合いをつけて、「国家」を認めることが、大人になることの意味。

「社会革命の夢は潰えた。個の充実を求める時代である。」とカバー裏書にある。

1995年はバブルは崩壊していたが、失われた〇十年となるとは思っていなかった時代。

安定した時代になったのだから、1970年代ような革命幻想を捨てることはもちろん、この腐った社会はまちがっていると先鋭化することなく、実存的問題を解決していこうという考え。そのための前提として、自分が属する共同体、ひいては、国家を考えなければならない、という話。

(自分も[有名大学の]大学教授になってガンバルぞ! とまでは書いていなかったが)

西研の1995年の肩書は、和光大学講師。