いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

横浜散歩:青葉区市ヶ尾 ⇒ 荏田 横浜米軍機墜跡地 ⇒ あざみ野駅

2023年03月26日 08時11分52秒 | 東京・横浜

青葉区役所は東急田園都市線、市が尾駅の近くの谷底平野にある。鶴見川がそばに流れている。丘陵地帯の中の河川と平地の地域。少し離れると丘陵地域となるが、現在は地形が宅地開発で整形されている。一面、住宅街。青葉区役所から市ヶ尾の丘を越えて、あざみ野へ抜け、あざみ野駅まで散歩した。

1;市ヶ尾(青葉区役所)、2;市ヶ尾遺跡公園の北の階段道、3;大入公園、4;赤田西公園前交差点、5;東急あざみ野駅


航空写真;1960年代(左)、現在

■ 1;市ヶ尾(青葉区役所) ⇒ 2;市ヶ尾遺跡公園の北の階段道

↑↓ 旧大山街道。 これを横断。

■ 2;市ヶ尾遺跡公園の北の階段道 ⇒ 3;大入公園

■ 大入公園

横浜米軍機墜落事件は、1977年9月27日(火曜日)に発生、一般市民3名が死亡し6名が負傷した航空事故である。


事件の経緯

1977年9月27日13時過ぎ、厚木基地(厚木海軍飛行場)を離陸し、太平洋上の航空母艦「ミッドウェイ」に向かおうとしたアメリカ海兵隊の戦術偵察機(RF-4BファントムII611号機)が、離陸直後に燃料満載の状態でエンジン火災を起こした。

乗員2名は射出座席を用いて緊急脱出し、パラシュートで神奈川県横浜市緑区(現青葉区)鴨志田町付近に着地した

一方、放棄され制御を失った機体は5kmほど離れた同区荏田町(現・青葉区荏田北三丁目・大入公園付近)の住宅地に墜落し、火だるまになった機体の破片を周囲300mから400mに飛び散らせ、周辺の家屋20戸を炎上・全半壊させた。 (wikipedia)

 

アメリカ軍関係者は約1時間後の14時20分頃に現場に到着し、日米地位協定(第2条)を盾に真っ先に現場周囲の人たちを締め出したのち、エンジンなどを回収した。この作業の際には笑顔でピースサインを示して記念撮影をおこなう兵士もいた。 (同上 wikipedia)

この事故現場が現在大入公園となっている。下記地図の「+」がその場所。


撮影時期:1979- 1983


撮影時期:1974-1978 この航空写真が事故の時期に相当。道路がまだできていない。この写真が事故後なのか事故前なのか不明。


撮影時期:1961-1969

タウンニュース 青葉区版 (web site) 2023年 3月9日号

■ 大入公園周辺

■ ⇒ あざみ野駅

赤田西公園前交差点


あざみ野駅

▼ まとめ 通過町

神奈川県横浜市 市ヶ尾町、荏田北、あざみ野南、あざみ野