スーパーでみがきにしんが売っていた。定価
札幌育ちのおいらは、みがきにしんにはがきんちょの頃から親しんでいた。当然、おばかなので、磨きにしんだと思っていた。今から思うと安い食材だからよく食べさせられたのだとおもう。正直子供心に、おかずにみがきにしんが出てとてもうれしいと感じた記憶はない。コンサドーレ@がきんちょにとって一番はやっぱり、例えば、ザンギだ。
もどって、身欠きにしんをどうやって食べていたのかもあんまり覚えていないが、固いことと骨が子供ごごろには嫌だった、つまりのどに刺さる恐怖があったような気がする。そんな時はごはんと一緒に飲みこみなさい!と言われた。
長じてみがきは身欠きと知る。それにしても、はらわたを取った状態を身欠きというのも変だな。なぜなら、さんまの身とはらわたという語法があるからだ。そもそもハラワタを抜いたいかを身欠きいかといわないではないか!なぜ、にしんのはらわただけが"身"なのか?
さらに、みがきにしんは干した魚ではあるが、開きではなく、まっぷたつにされた魚の胴体の片側なのだ。なぜ、アジなどは開いて干して、ニシンはまっぷたつにして干すのか?とある人に尋ねると、アジは小さいから開かないと ちんけ になっちまうから。それに比べにしんは頭とって真っ二つにして干しても、あったかいおそばの上で立派なお姿を披露できるからではないかというお答え。なるほど。(後記;にしんの開きというのはあった。でも面積広し!)
▼ニシン関連記事;『 結論、にしん立ち食いはあたわず 』
■江藤淳と"留守"
江藤淳、『日本と私』 を読むと、江藤の父親との確執が書かれている。これは「母の喪失」という点に目を奪われていた者には新鮮。特に、江藤が父親に反発しながらも、父の指示に結構唯々諾々と服していることが、江藤自身が明記しないながらも、江藤の叙述でわかる。すなわち、江藤の住処について、父親が裕福に違いない知人の屋敷の留守を息子の江藤淳に依頼/命令する。なぜ、裕福に違いない知人の屋敷が空くかというと例えば数年の海外赴任など。
留守、といえば留守番の留守である。しかし、その語源は知らないが、戦国時代は留守といえば留守居役といって、外征する総大将の殿様の代わりに城を防衛する役目。殿様総大将が留守の間、敵に襲われ落城ということも史実にはしばしばある。さらには、落城が必至の状況で留守居をあえて命じられ、殉職することもある。たとえば、徳川家康が関ヶ原の前に留守にした伏見城。wiki 鳥居元忠。
(ちなみに、江戸時代の平和な時代には、留守居といえば各藩の江戸藩邸の"外交官"。他の諸藩と情報を交換する役。江藤は子供の頃(敗戦後)父親に将来何になりたいかと尋ねられ、外交官になりたいと答えると、軍事力がないのに外交もひったくれもないと父に言われ夢を踏みにじられている。)
さて、結婚直後の若いころ父に命じられ留守役をやっていた江藤淳は『日本と私』に書いてあるように借金をして集合住宅の一宅を購入する。まだ純粋な文藝評論家だった頃だ。その後の江藤淳の名を挙げた仕事がマッカーサー憲法の問題。つまり、現行憲法は交戦権の放棄という条項で日本国家の主権を制限しているという指摘。自衛隊というのは日本の国軍ではなく在日米軍の補助的軍事組織であるという指摘。
なぜ、この指摘の出所がおもしろいかというと、自衛隊というのは朝鮮戦争で日本を空にせざるを得なくなった在日米軍のまさに留守居として、警察予備隊として発足したのだから。
例えば、『日本と私』が収録されている福田和也編"江藤淳コレクション2エセ―"にある"昭和25年の万平ホテル"には、占領下で接収され米国軍人に利用されていた戦前には軽井沢文学者の聖地(?)だった軽井沢の万平ホテル(旧友の実家の所有物)に江藤は"恐る恐る"赴き、そこで江藤は朝鮮戦争で米国軍人が出払った後の"ガラン"とした風景に出合う。
そうなのだ、父親に命じられての留守番経験者だった江藤淳は、自衛隊が留守居役だって気付いたんだよ。
さらに時代が経て、江藤は米国占領軍による検閲の解明へ執念を燃やす。例えば、福田恒存などがそんなこと意味ないといったにもかかわらず。それは、実の父が江藤に「忘れたことと忘れさせられたこと」の操作をしたのではないかという江藤の疑念に根ざしていたのかもしれない。事実、下記のような母方の祖父への面会を父親は事実上禁じたと江藤は記している。やはり、「忘れたことと忘れさせられたこと」の起源は父親で、その相似を国家の問題に適用したのではないだろうか。実父への反発⇒米国への反発ではないかと。さらには、パパ-ママ-ボクの図式を考慮すると、実母、継母の役割が明らかにされなければいけない。
海老茶色の古ぼけたガウンの裾をなびかせて、ノロノロと便所に出かけ、またノロノロとすりあわせながら帰って来た祖父は、どうもそういう思想(周囲に自分を主張し、自分の輪郭をはっきりさせること;いか@註)を生きていたような気がする。そして私がこの祖父に似ているとすれば、あらゆることにかかわらず、私はこの日本の社会での「適者」になれそうもないことになる。三十をすぎてはじめてこのことに気がつくとは迂闊な話だ。私はまアそれでもかまわない。しかし私の家族はどうだろう?もし家長が「適者」でないことになれば、彼らには安息はないということになるではないか。
【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング
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■中国のGDPが日本のGDPを将に越えようとすることが話題になっている。その時期、もう越した、今年だ、との議論もあるが、それは時間の問題で、おいらの関心事はこの約10%の高成長が中国であとどれくらい続くか?ということ。約10%の高度成長はどこの資本主義国でも認められることらしく、事実日本も高度成長期はそうだった。でも、長くは続かない。高度経済成長の1956-1973年、中度経済成長の1974-1990年、低成長時代(1990年代以降)。そしてデフレ時代(マイナス成長時代)???。
■中国の10%成長があと10年続いて、かつ日本がゼロ成長のままだとすると、10年後には中国のGDPは日本の2倍を超える。なぜなら、中国の10%成長というのは毎年50兆円分(複利計算だからもっと多額)の富がつみあがっていくことを意味するからだ。
■米国の成長率が2%である。一方、日本はよくて1%。でも、米国の成長率2%というのは毎年、1300兆円の2%、つまり26兆円の富が積み上がっていくことだ。一方、日本の1%は5兆円。それもきつい。
■世界経済における日本の相対的地位はずるずると低下するのであった。
▼それにしても、高度経済成長の時期にあるはずの中国では、大卒のインテリが余っているらしい。それも蝟集しているらしい。Google; 蟻族とは。
本書は、北京大学の博士研究員である廉思が、1年半の時間をかけて北京市でおこなった実地調査をまとめたもの。大学を卒業しながら正規職に就くことができすに、都市部周縁で底辺の暮らしを強いられる「80后」世代の厳しい現実を世に知らしめた。“蟻族”とは、本書で初めて使用された造語で、蟻のように知能が高く、身を寄せ合って居住している大卒生の集団を指す。以前は“北漂”“校漂族”などの名で呼ばれていたが、本書の刊行後、“蟻族”の名称とともに一躍注目を浴びるようになった。刊行後国内外のメディアに相次いで取り上げられ、「農民工」「下崗職工」と並ぶ大きな就労問題として、その重要性が取りざたされている。
⇒東方書店;蟻族 大学畢業生聚居村実録
日本の高度成長の時期(1956-1973年)は人出不足で大卒が就職口に困らなかったらしい。"反体制ごっこ"をしていても、「もう若くないさ」と天皇陛下に(君に)いいわけすれば、資本の手先になれたらしい。なぜ、高度成長の中国で大卒が余るのだろうか?
むしろ、現在中国では、"反体制ごっこ"こそができないから大卒が余るのだとしたら、にこにこできる。
中国の高学歴ワーキングプアー!全土で100万人だって。みんな洗練された上品な "精神的
●
【↓日本の経済成長率の推移】
図の出所
図の出所
■パーリアのスティグマ
NHKの大河ドラマをたまたまみる。写りの悪いテレビで、ネットをしながら。
◆いいのか!? 山内旧家臣会。山内旧家臣会、あるいは土佐藩士会とかってないのだろう? 仙台の伊達家家臣は仙台藩志会ってのがあるらしい。何が言いたいかというと、あんなに山内高級家臣が人倫に悖るものとして描かれて、誰も文句を言わないんだろうか?"国民的文学"だからしかたがないんだろうとあきらめているのだろうか?もっとも、司馬遼太郎は、自身の著作を、「フィクションである」とはっきり言明しているらしい。NHKこそ、ドラマの前後で登場の団体、人物はすべてフィクションですと注意書きすべきだ。#1
◆パーリアのスティグマ。もうひとつ目をひいたのが、岩崎弥太郎親子の演出。大きな"しょいこ"を担いで不自由そうに地べたを這いつくばるようにしている演技。今ネット調べると、鳥かごだとわかった。そして、岩崎弥太郎は郷士以下の地下(じげ)
最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立され全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引である。弥太郎は最初から政商として暗躍した。 wiki 岩崎弥太郎
やっぱり、パーリア資本主義だったのである。恐るべし、岩崎弥太郎。
●
#1
もっとも、山内の子孫が土佐で「おまえは、あの殿様の山内の子孫か!?」と糾され、そうだと答えると殴られたと、司馬は報告している。やっぱり、山内家臣団は世間に顔向けできない集団だったのであろうか?
筑波研究学園都市鎮座 *1(ちんざ!、w!) 一の矢神社に詣でた。
この一の矢神社はニンニク祭りで有名。厄除けのお守りは、御蒜守。 蒜=にんにく、です。
■ どうでもいいけど、リンク先を見て気付いた;
リンク先、一の矢神社の文章にある「老樹天を摩す境内には、加藤弘之博士の追遠碑等もみられます」の加藤弘之(1836-1916)は、出石藩(外様)という超マイナーの藩の藩士で、しかしその頭脳で成り上がり、新政府では「東京学士会院会長、東京大学綜理、帝国大学総長、貴族院議員、帝国学士院院長、枢密顧問官」になった人。維新の志士と同世代の人。山県有朋より2歳年上。学術で出世。出石藩とは今の兵庫県の日本海側。城崎温泉があるところ。
加藤は、筑波山麓とは関係ないはずで、かつ「加藤の思想は現実的で、終世唯物論者だった」にもかかわらず、祖先が筑波山麓の出自である(小田家家臣?)とし、筑波山麓に碑を建てた(出典は忘れたがつくばの郷土史の本だったとおもう)。
▼評判;
初代の東大総長で自由民権の旗手でもあった加藤弘之は、国家主義者の圧力に屈し(殺されてもおかしくないのだから)、自らの著書「国体新論」を絶版にして、その変節を新聞にまで広告として出した。加藤は学者の間での誹謗、中傷をものともせず、媚びへつらって大出世街道を邁進し、次々と勲章をもらい、さらにはその勲章を長々と自慢する。その俗物ぶりを立花隆は批判する(引用先)
●よんじゅう過ぎでバイトの放浪!人のおいらが"鎮座"について註を付けちゃいます;
*1 筑波研究学園都市鎮座
って、変な日本語、変な論理的認識だよね。なぜって、「筑波研究学園都市」なんて昨日・今日の(きのうきょうの)うたかたの事象。(中央研究所の時代の終焉!、あるいは愚者の楽園。)
片や、一の矢神社は「その昔清和帝の朝、貞観年間山城国愛宕郡より、御祭神素戔嗚尊を、病厄難・海上安全の守護神、振武文教の祖神として崇め勧請鎮め奉った由緒ある御社であり、創祀以来悠久実に千百有余年の星霜を閲して」いる歴史の試練と淘汰を受けた由緒あるものであるから、うたかたの筑波研究学園都市に鎮座するという言い方はおかしい。正しくは、大日本は神国なりの『神皇正統記』が発せられたあの筑波山麓に鎮座するって言えばいいのに。それとも、この御名御璽の威光なのであろうか!? ひろひと大帝の時代;大日本帝国の終焉!&中央研究所の時代の終焉!、そして何より、愚者の楽園!
どうやら鳥さんにつつかれているようです。
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-実像と虚像の筑波山-
■今年の課題;
お花畑が踏みにじられて、つい落涙してしまう弱っちい性分を治す;
そのためには、「冷水摩擦や器械体操や規則的な生活」を実践する;
だからといって、ボディビルで筋肉を隆々とさせて誇示したり、あまつさえ抜き身をギラリとさせたり、ましてや兵隊ごっこなぞにはまらないように務める;
これらを以って、よんじゅう半ばという魔の峠を無事越えられるように今年から準備してがんばる。つまりは、お仕事では death valley を渡り、私生活では魔の峠を越えるという受難の日々が続くであろうということです。今年もよろしくお願いします。