中核派が機関紙「前進」で呼びかけていた6・11百万人デモも、たいした盛り上がらないままに終わりそうだ。菅政権打倒の意気込みもあまり伝わってこなかった。単なるカンパニア闘争では、権力にとっては痛くも痒くもないはずだ。ネットでデモの様子を見ていたらば、高齢者が多いのにビックリした。保守派の日の丸デモとの違いが明確だ。「いちご白書をもう一度」の世代が中心なのだろう。それと比べると、保守派の方がイキイキとしている。70年安保騒動で中核派が国民から注目されたのは、沖縄奪還をスローガンにし、日本のナショナリズムと無縁ではなかったからだ。一向に譲歩する姿勢が見られなかった米国が、言葉だけでも「核抜き本土並み返還」といわざるを得なかったのは、内乱的な状況を引き起こそうとした、彼らの闘いがあったことは否定できない。また、私にとっては、中核派というと「同志よ固く結べ」という歌が思い出されてならない。あの悲愴感は胸に迫るものがあった。しかし、時代は大きく変わってしまった。スターリン主義国家中共が、沖縄周辺にまで軍艦を出没させ、日本の独立と主権を侵そうとしているのだ。今この国を救うには、反帝、反スタではなく、祖国を再建する以外にないのである。そして、私たち福島県民のために決起するのであれば、敵は誰かといえば、いうまでもなく、国民を被曝させた菅政権なのである。
今の民主党の政治家は、あまりにも多弁過ぎないだろうか。菅直人首相にいたっては、有言不実行を絵に描いたような指導者ではなかろうか。できもしないことを並べ立てては、信用を失うのはあたりまえだ。それと比べると、昔は大物がいた。昭和天皇に倫理を教えた杉浦重剛が、西郷従道を絶賛していた。重剛の知人からの話として、従道が伊藤(博文)と一緒に李鴻章との談判に行く船のなかで、盛んに伊藤をけなした。これに伊藤は憤慨して、李鴻章などに負けてなるものかと奮起した。従道は、それによって伊藤を励ましたのだった。以心伝心ということか、従道はそこに同席しながらも、一言も口をさしはさまなかった。ただ談判後の宴会で、小さな盃でチビチビ飲む酒が出てきたときに、「わしは酒が好きじゃ」とばかり、強い酒を大きなコップに注いで飲んで、いかにもどんと落ち着いていたので、支那の人たちも、伊藤より上手がいるものだと驚いたのだという。重剛が語ったその話は『杉浦重剛座談録』に収録されているが、腹が据わった大物というのは、常人とは違うのである。しかし、その従道ですら西郷隆盛には頭があがらなかったのだから、上には上があったのである。重剛の偉いところは、人間の価値をその器で見たことだろう。ヘラヘラ喋るだけが政治家ではないのだから。