どうせテレビもし新聞も信用はしていないが、福島第一原発について、あれだけ大本営発表をやっていたマスコミが、このところぱったりと報道しない。一応はたれ流しているが、悪化しているのか、改善しているのかについては、コメントを避けている。それよりも連日取り上げているのは、菅直人首相の動静である。辞任するかしないかで、飛ばし記事をどんどん書いている。国民の多くは、菅首相や民主党に期待していないから、そんなことはどうでもよいのである。できれば総選挙をやって欲しいが、ようやく手にした権力を、民主党が手放すはずもなく、重苦しい閉塞感が漂っているのである。そこに輪をかけているのが、マスコミの菅擁護の大合唱である。官房機密費がマスコミ関係者にばら撒かれているという噂もあるが、そればかりでなく、広告予算という餌をぶら下げているのではなかろうか。福島県内でも、ローカルラジオ局の時間帯まで買い取って、政府のPR番組を流している。かつては東京電力が有力なスポンサーであったが、今では国がそれに取って代わっているのだ。そうでなくても、マスコミ各社は広告費の減収で頭が痛いわけだから、背に腹はかえられないのである。たかり根性のマスコミが、広告予算で黙らせられて、国民を死に追いやる。日本のマスコミは、もはや死んだも同然である。
おっとり刀で飛び出してきたかつての極左活動家も、今度の菅直人首相の一言で、ひっくり返ったのではなかろうか。あれだけ原発政策にいちゃもんをつけ、こうなったらば、反原発を旗印にして、総選挙に打って出る、とまで意気込んでいたと思ったらば、何のことはない、「安全性が確認された原発は稼動させたい」と述べたのだから、これまたビックリである。それでは、浜岡原発をストップさせたのだけが例外で、これまで通りに原発を推進してゆくということではないか。二枚舌にもほどがある。反原発派にとっても期待はずれではなかろうか。成り行きで、リップサービスで反原発を口にしてみたが、あくまでも理想論でしかなかったことに気づいて、またまた方向転換をしたのである。市民派サヨクの信念のなさを如実に表している。それでもまだ、菅直人という政治家に幻想を抱く人がいるのだろうか。反原発派のお御輿に乗ろうとして、一旦は腰が浮きかけたが、いつもと同じで、腰砕けに終わってしまったのだ。ここ一週間ほどネットでも菅擁護論が出ていた。原発に巣食う利権派が反転攻勢に出て、菅首相を引きずりおろそうとしている、との見方を流布させた。それをあたかも真実のように報道した朝日新聞などのマスコミもあった。しかし、権力亡者にはそんな信念もないのであり、日本中を振り回しただけでちょんなのである。