草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

教える立場の学者や教師が予言者や煽動家であってはならない!

2017年01月25日 | 思想家

プロパガンダを振りかざす者たちを学者と呼ぶべきではない。学校の教師においても然りである。団塊の世代にお花畑の教条主義者が多いのは、洗脳教育を受けたからにほかならない。偏向教育以前に、それは学問を教える者の作法にかなっていない▼マックス・ウェーバーは『職業としての学問』(尾高邦雄訳)において学問と政治の違いを明確に区別している。反対派に向けられた剣である政治と、日々研鑽に励む学問はまったく異なる。ウェーバーにとっては「事実をして語らしめる」のが学問であり、「街頭に出て公衆に説け」といわれる予言者や煽動家であってはならないのである。「自己の批判者ではなく自己の傾聴者にのみ面して立つ教室では、予言者や煽動家としての自己は黙し、これに代って教師としての自己が語るのでなければならない」からだ▼「知的廉直」を持たない学者や教師に学生や生徒を教える資格はない。考えることを止めてしまった団塊の世代は、今なお国家解体を夢見ている者が多い。トランプに代表されるような新たな国家主義の台頭に対しても、イイデオロギー的な解釈にとどまっている。ウェーバーの学問的方法に立脚して論じるなら、国家主義の種々の形態を掲げ、その働きの違いを分析し、また社会生活に及ぼす影響を考慮し、それ以外の政治秩序と比較し、どこに問題があるかを聴き手に発見させることが重要なのである。学問の世界には予言者も煽動家も必要ないのである。

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