民進党の左派が立憲民主党を立ち上げた。ロシア革命のときにも立憲革命党があった。カデットと呼ばれていたが、どのような運命を辿ったか、今日の午後発表した枝野幸男は知っているのだろうか▼カデットが目指したのは立憲君主制であった。ツアーリズムの専制主義を批判したが、あくまでも漸進的な改革を主張したのである。三月革命後の政府の首相は立憲民主党から出たが、エスエルのケレンスキーが7月には臨時政府の首相となった。立憲革命党の力を後退し、そこで11月革命が勃発し、ボルシェビキの独裁体制が樹立したのである。ケレンスキーと同様に、わずかの期間しか権力を握れなかったのである▼いうまでもなく立憲民主党は非合法化され、歴史の舞台から抹殺された。枝野が代表の立憲民主党も、ロシア型共産主義の流れをくむ共産党や社民党と選挙協力をするのだろう。希望の党に入れなかった者たちは、そこに身を投じるしか選択肢がなかったからだ▼カデットがボリシェヴィキの勢力拡大を手助けしたように、その二の舞を演じるのだろうか。枝野らが立憲という言葉にこだわったのは、憲法擁護が根本にあるからだろう。憲法を道具として利用するだけで、平気で踏みにじるのが共産党である。どうして理解できないのだろう。共産党の恐ろしさも知らず、希望の党以上に問題なのが、枝野の立憲民主党なのである。
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