毎年今頃になると三島・森田の義挙のことを考えてしまう。日本が真に日本たりうるための憲法改正は、あの時しかなかったのではないか。戦争を体験した者たちが社会の中心をなし、日本の心がまだ息づいていた。現在のようなぶざまなことにはならなかったと思う。
まだ17歳の少年であった私は、鮮烈にあの日の出来事を覚えている。多くの識者は「狂気の沙汰」と三島由紀夫を罵倒したが、その結果どうなっただろう。自衛隊はアメリカの傭兵と化し、天皇陛下からの栄誉の大権は与えられないままに戦場に駆り出されようとしている。
今、東アジアの情勢は緊迫しているが、日米合同委員会の命令によって自衛隊が動くことになるのは、統帥権が我が国にはないからなのである。
三島の檄文では「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた」と述べたのであり、「あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」と訴えたのである。
戦後体制から脱却できない日本は、迫りくる中国の脅威に対抗する術がない。三島は狂人ではなかった。アメリカに羽交い絞めにされ、中国に叩きのめされようとしている時代が来ることを、誰よりも早く予言していたのである。