岸田首相が旧統一教会の被害者と直接面会をして、意見を聴くことになった。まだ裁判所で決着がついたわけでもないのに、なぜにそこまでするのだろう。まさしく、一部の野党やマスコミと一緒になって、旧統一教会叩きをしたいだけなのである。
本当の狙いは、親中派の自分たちが、自民党内の保守派から批判されるのを恐れて、先手を打っているのだろう。あまりにも姑息である。そこまでやるのならば、創価学会などの被害者に対しても、会わなければならないはずだ。誰が参謀なのか分からないが、あまりにも右往左往し過ぎである。本来であれば、岸田首相は、じっくり構えて、信教の自由に関して自らの見解を述べるべきなのである。
中国が我が国の排他的経済水域に、ミサイルを撃ちこんできても、NSCを開催しなかった岸田首相は、安全保障上の脅威が高まっていることに関して、まったくの無頓着である。それよりも、今の自分の座を守るのに必死である。
マスコミにおもねてばかりいるのは、それだけリーダーシップがないからだろう。過去の日本の政治史をみても、政権が崩壊するのは、決まって「仲間割れ」が原因である。安倍元首相が危惧していたように、自民党は分裂含みになってきている。たかが旧統一教会ごときの問題で、これだけ混乱するようでは、岸田首相に日本丸の舵取りは任せられないからだ。
しかも、政治家の評価というのは「棺を蓋うて事定まる」といわれているように、生前中に評判が悪いのは、ある意味宿命なのである。安倍元首相の場合には、亡くなってまで罵倒する人間たちがいるのは、国民のことを思って、自らの政策を強引に推し進めたからだ。台湾有事が目前に迫りつつある今、平和安全法制が成立したことで、日米の軍事同盟が強化されたことで、抑止力が高まったというのは、周知の事実である。政治家は何を為したかであり、岸田首相のようにマスコミの報道に一喜一憂するようでは、名宰相とは呼ばれないのである。