法律を無視するのが左翼である。だからこそ、アントニ・オネグリは憲法制定権力としての革命権を主張するのである。立憲だとか護憲だとかを叫ぶ左翼は日本だけであり、それも本心から出た言葉ではないのである。
ネグリにいわせれば、マルチチュード(多数派)として、現代のプロレタリアたりうるのは、移民、女性、学生、さらには働かない者たちなのである。そして、それらの者たちは、一人では生きていけないから連帯するようになり、多数派を形成することで抑圧的なシステムを壊していくという考え方である。
日本の左翼が関係するNPOなどの団体が不正を行っていても、当事者に罪の意識などあるわけがない。革命のためには手段はどうでもいいからだ。暴力でもって世の中をひっくり返そうとしており、その程度のことでクレームを付ければ、逆に糾弾されてしまうのである。
しかも、日本の左翼が特異なのは、独裁全体主義国家のお先棒を担いでいることだ。近隣にとんでもない国があるにもかかわらず、その危険性を認めないのである。
マルチチュードを応援するマスコミも、左翼と一体になっており、それでなおさら混乱に拍車がかかっているのだ。
今保守派の私たちができることは、コモンセンスのある常識的な人たちを結集することである。目的がいくらよくても、手段がよくなければ、それは悪なのである。そして、マルチチュードの運動によって深刻化している社会の分断を、何としても阻止しなくてはならない。
世の中は変わっていかざるを得ないとしても、それは徐々にであって、憎しみをかきたてる左翼に振り回されてはならないのである。