宏池会の今のさまを池田勇人が見たら、どういう言葉を発するだろうか。沢木耕太郎は『危機の宰相』において「林房雄の『随筆池田勇人』の中に、前尾繁三郎の談話として、(池田についての)二つの印象的な事実が書き留められている」ことに着目した。
経済一辺倒であると思われていただけに、池田の知られざる一面であったからだ。一つは日本が米国に負けたら、官吏などやめて地下に潜って抵抗運動をやらなくてならないと、池田と前尾は本気で考えていたというのだ。
もう一つは、実際に天皇の「終戦の詔勅」が発せられると、二人は皇居前に行き、「『官吏の責務を果たし得なかったこと』を天皇にお詫び申し上げた」のであり、占領軍に迎合するのではなく、愛国者としての振る舞いをしたのである。
戦後の日本を吹き荒れた公職追放の結果、出世が遅れていた池田にチャンスがめぐってきたのである。当初から権力欲とは無縁であったから、言いたいことをズバズバ口にした。このため、読売新聞社主の正力松太郎や、朝日新聞の論説主幹の笠信太郎は、池田が総理総裁になることに反対した。しかし、池田がいなければ、我が国は高度経済成長を達成しておらず、いつの時代も、大新聞の主張は、国を誤らせるのである。
宏池会には池田のような政治家も、もはや現れないのだろうか。せいぜい小野寺五典元防衛相くらいではないか。前尾が総理総裁になれず、大平正芳が田中角栄と組んで宏池会の主導権を握ったために、宏池会が親中派の牙城のようになってしまったのである。池田や前尾が国士であったことを忘れてしまうようでは、宏池会に未来などあるわけはないのである。