自称保守を名乗る争いがあまりにも皮相的である。そこには思想家の名前は一つも出てこず、保守についても定義に関してもいい加減である。ジャーナリストや流行作家のレベルで騒ぐ神経が理解できない。
橋川文三は「自らを保守を標榜する思想家が日本にはいなかったか、ないしは稀であった」(「日本保守主義の体験と思想」)と書いている。そして、保守主義の概念には「未知なものへの恐れや忌避の感情を呼ぶ場合」と「一定の歴史的段階において発達するに至った特定の政治思想を指す場合」と二つに区分している。
保守主義を問題にするにあたっては、あくまでも後者が問題となる。しかも、「保守」ということばそのものが、「保守反動」を連想させるような使い方をされてきたのである。だからこそ、丸山眞男は「日本に保守主義が知的及ぶ政治的伝統としてほとんど根づかなかったことが、一方進イズム>の風びに比して進歩勢力の弱さ、他方保守主義なき<保守>勢力の根強さという逆説を生む一因となしている」(「反動の概念」)と喝破した。自由民主党があえて保守党を名乗らなかったのは、そうした理由があったからなのである。
私たちが保守主義を理解するためには、現代の保守思想の中核をなす「心グループ」の人たちの思想に触れなくてはならない。代表的なメンバーは和辻哲郎、田中耕太郎、武者小路実篤、小泉信三、柳田国男らである。そこに橋川は進歩派を寄せ付けなかった葦津珍彦の名前も付け加える。このほか、新保守主義には日本文化会議の林健太郎、竹山道雄、田中美知太郎、竹山道雄、福田恆存らがいた。
それらの人たちの本を全て読む必要はないが、その何冊かを最低読んで、それで保守主義について議論すべきなのである。
橋川文三は「自らを保守を標榜する思想家が日本にはいなかったか、ないしは稀であった」(「日本保守主義の体験と思想」)と書いている。そして、保守主義の概念には「未知なものへの恐れや忌避の感情を呼ぶ場合」と「一定の歴史的段階において発達するに至った特定の政治思想を指す場合」と二つに区分している。
保守主義を問題にするにあたっては、あくまでも後者が問題となる。しかも、「保守」ということばそのものが、「保守反動」を連想させるような使い方をされてきたのである。だからこそ、丸山眞男は「日本に保守主義が知的及ぶ政治的伝統としてほとんど根づかなかったことが、一方進イズム>の風びに比して進歩勢力の弱さ、他方保守主義なき<保守>勢力の根強さという逆説を生む一因となしている」(「反動の概念」)と喝破した。自由民主党があえて保守党を名乗らなかったのは、そうした理由があったからなのである。
私たちが保守主義を理解するためには、現代の保守思想の中核をなす「心グループ」の人たちの思想に触れなくてはならない。代表的なメンバーは和辻哲郎、田中耕太郎、武者小路実篤、小泉信三、柳田国男らである。そこに橋川は進歩派を寄せ付けなかった葦津珍彦の名前も付け加える。このほか、新保守主義には日本文化会議の林健太郎、竹山道雄、田中美知太郎、竹山道雄、福田恆存らがいた。
それらの人たちの本を全て読む必要はないが、その何冊かを最低読んで、それで保守主義について議論すべきなのである。