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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

韓国擁護派で上意下達の日本共産党と組む山本太郎を嗤う!

2019年09月13日 | 政局

山本太郎のれいわ新選組は見掛け倒しであった。先の参議院選挙では緊縮ではなく積極財政を訴えたこともあり、少しばかりまともかと思ったが、予想通り既成左翼の単なる補完勢力であった。山本は昨日、国会内の共産党の志位和夫と会談し、日本共産党と選挙協力をすることが決まったからだ。文在寅の韓国の言い分をご無理ごもっともと言っているような政党と、山本は手を組むのである▼平成25年度の参議院選挙では東京都選挙区から立候補したが、そのときは中核派の応援を受けて当選したのに、今はどんな関係になっているのだろう。いくら何でも反帝、反スタの中核派と共産党が手を組むとは思われず、山本のブレーンの斎藤まさしが画策したのではないだろうか。田代は北朝鮮に渡って「よど号」の犯人やその子供と面会しており、北朝鮮当局との密接な関係が取沙汰されている人物である▼れいわ新選組と共産党が急接近した背景には朝鮮半島情勢があるのではないか。北朝鮮の傀儡である文在寅に対しては、多くの日本人が怒り心頭に発している。韓国擁護派は分が悪くなっており、日本共産党としても、左派に人気のある山本を取り込みたかったのだろうが、それに応じる山本も愚かである。反日に徹する韓国政府の応援団を買ってでたようなものである。さらに共産党に民主主義はない。前衛を自称する者たちの上意下達の組織である。そんなところと組むようでは山本も終わったのである。

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朝鮮(韓国)の歴史の真実5 (嫌韓有理)
2019-09-13 07:37:54
 李氏朝鮮創業の「功臣たちの政治には不満をもつ者が多く、それが次期王位をめぐる王室の内紛と結びついた。太祖(李成桂)には先妻に6人、後妻に2人のあわせて8人の男子がいたが、彼は末子の芳碩をつぎの国王にするつもりでいた。父王の創業に大きな功績があった五男の芳遠は、1398年、芳碩の教育にあたっていた鄭道伝が、先妻の子である自分たちを除く陰謀を企てたとして殺害、異腹の末の2人の弟七男芳蕃と芳碩までも殺した」(『朝鮮史』)のである。

李氏朝鮮は、中国の諸制度を引き写して諸制度を整備したが、核心は、儒教とりわけ朱子の学(朱子学・性理学)による国家統治から社会習俗に至るまでの徹底的教化である。その徹底性は、まるでカルトである。しかも、朝鮮では、つねに血まみれの「党争」がつきものだった。
 
「権威と権力の一致をめざした政権のなすことは、いかにも暴力的であった。1474年には明国の法律を用いて、火葬者は百叩き、埋葬しないものは墓暴きと見なして斬り殺すことにした。それでも霊力の宿る骨がほしくて、骨を掘り起こしてかますに隠している民衆がいた。これは一族島送りが討議された。この間、従来の葬儀や招魂を司っていたシャーマンや僧侶は弾圧され、ソウル所ばらいとなり、放逐されて山野を彷徨した。19世紀末に至るまで、朝鮮では僧侶は扱いでソウルに入ることも許されなかった」「王と儒臣たちの儒教教化は、ヨーロッパ中世の異端審問と教理の実践を想起させるほど過激なものであった。」(『朝鮮民族を読み解く』)

 本場である「中国で漢王朝以来、政治権力を握った官吏によって信奉された儒教は、明白な不平等、したがってまた自由にふるまう大きな富の拒否、農業の振興、貨幣・信用制度・交易の国家管理を要素として含んでいた。(中略)1430年代以降、国家権力と市場経済(官吏と商人)の緊張にみちた協調と反発のなかで、地主と儒教的官吏からなる保守的な党派が勝者となった。商業と資本蓄積に対する消えることのない不信が優位を占めた」(ユルゲン・コッカ)のであるから、狭い半島国家で大陸を真似て徹底すれば、商業の発展を抑圧することになった。また、文=学問を国家運営の基軸にすえる政策なのであるから、徐々に軍事力が衰退した。
 (「汝、平和を欲するなら戦いに備えよ」であるのだが・・・)
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