耳目を集めそうなことであれば、考えなしに喋り散らす。自らの言葉に責任をもたず、選挙のときの公約など、破り捨てても恥じない。そんな日本保守党がネットで人気を博したのは、わずかな期間であった。ネット民は愚かではなかったのである。
その一方で、保守がまとまりを欠いているのに付けこんで、岸田文雄の裏切り行為で、瓢箪から駒であった石破茂は、最高権力者の座に留まろうとして必死である。
本当の保守であるならば、トランプに伍していくためにも、日本を取り戻す努力をすべきであるのに、そうではない者たちが権力を握っているのである。
日米関係よりも、中国に一歩近づこうとする石破内閣は、日本の外交の根本を変えようとしている。岩屋外務大臣の訪中は、まさしくそれを象徴する出来事である。
このままでは日本国民は亡国の民となってしまう。それを阻止するにどのような手立てがあるのだろうか。政治に期待できるかどうかも分からない。
カールシュミットは「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者をいう」(『政治神学』田中浩。原田武雄訳)と書いた。日本という国家を守り抜くために、国家緊急権にもとづき決起する覚悟があるかが問われているのだ。非常時において、私たちは何を為すべきかを、今から考えて置かなくてはならないのである。