立憲民主党や国民民主党の特定野党が国民に評価されないのは、党利党略しかないからである。枝野幸男や玉木雄一郎の頭の中にあるのは、選挙に勝つことばかりで、そのためには、全体主義政党である共産党とも平気で手を組むのである▼「誠」を重視したのは三島由紀夫であった。『流動』の昭和44年12月号「現代における右翼と左翼」と題した林房雄との対談で、三島はそのことにこだわっていた。だからこそ、三島の口から「私は安田城の攻防戦のときに、死ぬやつがいるんじゃないかと思って、非常に心配したんですよ」との言葉が出たのである。全共闘が一人でも死んで見せれば、自分たちのお株が奪われてしまうからだ。実際は腑抜けそのものであり、あっけなく降伏した▼政治に「誠」を求めたのが三島であった。不純を嫌ったのである。「つまり義のために死ぬというのは人間の特徴で、動物にはない。義のために死なないのは、動物と人間の境い目がつかないやつ。ロシアの場合テロリストは立派でしょう。ロシアの場合はちゃんとその人間が出ていますよ」▼特定野党の信念のなさに国民は愛想を尽かしたのである。三島にいわせれば「右翼は最終的には誠だけだ。それをはずしたら右翼じゃない。左翼は誠がなくていいんだというところで左翼」なのである。政治は打算の産物ではなく、決死の覚悟がなくてはならず、そこで問われるのが「誠」なのである。
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