民主主義は選挙の結果が全てですから、それを尊重されなくてはなりませんが、だからと言って、それが正しいかどうかとなると議論が分かれます。
兵庫県知事選挙で再選された斎藤元彦氏に問題があったことは確かです。「怪文書」の扱い方があまりにも異常でした。普通であれば、その内容に公益性があるかどうかです。公益通報の担当部門の判断を待って動くべきでした。
犯人探しをして、パソコンを押収すると言うのも行き過ぎです。たまたまとんでもない事実が出てきたので、風があっという間に変り、齋藤氏が被害者となり、マスコミへの反感もあって、予想をくつがえすような結果になったのです。
一方的なマスコミの報道は、そうした大事なことにはまったく触れず、齋藤氏への批判的なレッテル貼りに終始しました。新たな事実が判明したことで斎藤氏への同情が集まったのです。
今回の教訓はマスコミの影響力の低下です。さらに、自民党を始めとする政党の無節操ぶりです。対抗馬を擁立することもできず、マスコミの口車に乗ってしまって、決め手を欠くことになったからです。
感情に振り回されるのではなく、何が正論たりうるかをマスコミは主張しなければなりません。それが果たせないならば、役割が終わったといわれても仕方がありません。