百田尚樹氏の『日本国紀』が出たときに、その記述の誤りを指摘し、参考文献が掲載されていないことを問題視したら、僕は百田氏からXをブロックされた。しかし、多くの読者を獲得したことは紛れもない事実である。
日本の歴史を学ぶには、徳富蘇峰の『近世日本国民史』を筆頭に上げなくてはならない。また、平泉澄一派の国史の研究の成果も無視できない。その普及本が『物語日本史(上)(中)(下)』である。さらには、大川周明の『日本二千六百年史』などは日本の歴史を概観できる。現代史となると伊藤隆の『日本政治史』などがある。
それの書物を読みこなすというのは、あくまでも特定の人たちである。そこで『日本国紀』のような読みやすいものが必要になってくるのだ。
実際に百田氏が全編を書いたのか、有本香氏のグループが協力したかについては、僕は知見を持ってはいないが、自虐史観の真っ向から挑戦したことの意義は大きい。
もともと百田氏はテレビマンである。雑多な情報をまとめて構成力で勝負するタイプではないだろうか。文章の簡潔な表現などは、映像的な文章の特徴だと思う。
百田氏が病気になって残念なのは、そうした彼の才能が発揮されなくなることだ。天は見捨てないと信じたいが、戦後の日本の言論空間のゆがみを、強引にも突破しようとした点においては、まさしく先駆者であった。ぜひとも復活して、これまで以上に先頭に立って欲しいと願うばかりである。
日本の歴史を学ぶには、徳富蘇峰の『近世日本国民史』を筆頭に上げなくてはならない。また、平泉澄一派の国史の研究の成果も無視できない。その普及本が『物語日本史(上)(中)(下)』である。さらには、大川周明の『日本二千六百年史』などは日本の歴史を概観できる。現代史となると伊藤隆の『日本政治史』などがある。
それの書物を読みこなすというのは、あくまでも特定の人たちである。そこで『日本国紀』のような読みやすいものが必要になってくるのだ。
実際に百田氏が全編を書いたのか、有本香氏のグループが協力したかについては、僕は知見を持ってはいないが、自虐史観の真っ向から挑戦したことの意義は大きい。
もともと百田氏はテレビマンである。雑多な情報をまとめて構成力で勝負するタイプではないだろうか。文章の簡潔な表現などは、映像的な文章の特徴だと思う。
百田氏が病気になって残念なのは、そうした彼の才能が発揮されなくなることだ。天は見捨てないと信じたいが、戦後の日本の言論空間のゆがみを、強引にも突破しようとした点においては、まさしく先駆者であった。ぜひとも復活して、これまで以上に先頭に立って欲しいと願うばかりである。