内ゲバで人殺しをした極左のセクトの方が、韓国や中共を過激に批判する行動する保守よりも、はるかに悪質である。にもかかわらず、日本のインテリの多くは、それを正面から議論しようとしない。現実を無視して、抽象的な議論をすることが、あたかもインテリの証明であるかのように、勝手に思い込んでいるからだ。マルクスの言葉の一部をプロパガンダに掲げれば、それで天下のご意見番の水戸黄門の印篭と同じ効き目がある。今さらマルクスでもあるまいに、まだまだその影響力からは抜け出し切れてはいないのである。竹山道雄が「多くの主張は、事実による認識よりも、おおむねある一種の信じたいという動機によっている。現実に対する不満とそれが生む幻影から出発して、この信じたいという意志は、おどろくほどつよい力をもって人の心を律するものである」(「門を入らない人々」)と書いている通りだ。しかも、その幻影なるものの根拠も、単なる勧善懲悪なのである。中共や韓国の暴挙を直視せず、あくまでもまともな国として扱おうとしている。極左に対して手加減するのと大差がない。それは戦後日本を支配した、サヨクによる知の暴力なのである。それと立ち向かっているのが保守であり、その構図を意識して物事を見ていくべきだろう。我々日本人が立脚すべきは「日本固有の文化共同体」(福田恆存)であり、イデオロギー以前の歴史と伝統に培われてきた国柄にほかならない。抽象的な思い込みを優先させるインテリは、かえって日本の進路を誤らせるだけなのである。