つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

祝嶺和子さんの葬儀に参列

2010年01月21日 | 躰道
                      祝嶺和子さんの葬儀祭壇

暦では大寒のこの日は伊豆の伊東市は春のような4月の暖かさでありました。
梅の花が咲き、河津桜は蕾をふくまらせてピンクに咲き出していました。
祝嶺和子さんの葬儀に参列してきました。会場はアイ・ホール伊東。

お棺の中には、微笑んでいるような若々しい祝嶺和子さんが今にも起き出しそうな様子で横たわっておりました。
顔の色つやがとてもよく、口紅の赤さが生きているような姿を表しておりました。
遺影は写真ではなく、液晶テレビ画面に写っていた。
私がお別れの挨拶をしていると画面の祝嶺和子さんが動いて話しかけるような仕草をしているように見えました。

戒名は「春照妙和信女位」
読経住職は、浄土真宗大谷派慶誓寺の泉智慶氏であり、新潟県で躰道の指導者として活躍している方でした。
読経は、はっきりとした口調で心に感動を与えてくれる素晴らしいものでありました。

躰道関係者は、青森県から沖縄県に至るまで全国各地に在住する人が集めっておりました。
特に板山昌司範士の山梨県の関係者は20名も参列して葬儀に協力しておりました。
故人に寄せられた生花の中には、アメリカ躰道協会やフランス躰道協会から贈られたものもありました。
葬儀の終了時には、中島章皓葬儀委員長は故人との思い出を話し、喪主である長男の祝嶺修身さんは、祝嶺正献最高師範の創始した「玄制流空手道」と「躰道」の理念と実技を祝嶺家の兄妹たちで守っていきますと挨拶がありました。
葬儀会場では、来場者たちに目配り心配りをして対応している葛西隆さんの心細かい配慮がとても印象に残りました。

伊東市営火葬場で荼毘に伏されお骨となって伊豆高原の自宅へと戻っていきました。
祝嶺和子様のご冥福を祈ってまいりました。

(1月21日記)
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