つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

宮田章司師匠 売り声で伝える江戸風情(1)

2010年01月22日 | 文化
                   和風漫談家・物売り声の宮田章司師匠

日本経済新聞の最終面の文化欄に和風漫談家・物売り声の宮田章司師匠の随筆が掲載されていた。(1月21日付け)
宮田章司師匠には、群馬県の万場の鯉のぼりまつりのときに初めて会い、その後交流を続けていて、私が豊島区で研修会を主宰して活動している時に講師としてお招きして担当して頂いたことがある。
早速、宮田章司師匠へ電話を掛けてブログ掲載の了承を得たところ快く応諾の返事を頂いた。
     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇
江戸の下町は、本当に便利なところだった。抜けた髪の毛から灰まで何でも買い取りにきてくれたので、ゴミが出なかった。食べ物から生活用品まで何でも売りにきてくれた。その「売り声」で時間も季節も分かった。
東京の足立区千住に生まれ、浅草を庭にして育ったあたしは典型的な江戸っ子。江戸時代から昭和初期まで盛んに聞こえた、下町の売り声を掘り起こし、寄席などで披露している。江戸の売り声を舞台芸にしているのは、あたし一人だ。

●起源は室町時代の京都
下町で、朝一番に響くのは納豆屋やアサリ屋の声だ。「なっと、なっとぉーなっと。なっとーみそまめ~」という感じ。昼間は薬屋や飴屋、そしてさまざまな修理屋さん。履物、傘、刃物、竈(かまど)、樽、土瓶の弦などあらゆる物の修理や目立ての職人が、いろいろな売り声と共にやってきた。流し易者もいた。
夕方になると、鰯屋や豆腐屋の出番だ。食べ物ではほかにも刺し身にソバ、うどんにおでんといろいろ売りに来て、夜食にも困らなかった。
季節別にいえば、春は桜草、夏は朝顔や金魚に水売り。「しゃっこーい、しゃっこい」と、いかにも冷たそうに、砂糖などを少し加えたおいしい水を売りに来る。秋はコオロギやスズムシ。冬は、あたしが子供のころは年末のクワイ売りが楽しみだった。これが来ると「もういくつ寝るとお正月」だったからだ。
こうした売り声をざっと見るだけで、下町の暮らしが分かる。ファーストフードとデリバリーとリサイクルが究極まで発達した社会。売る方も買う方も決して裕福ではない庶民で、その日一日、必要な分だけ物や金を手に入れて生きていた。
これら売り声のルーツは室町時代の京都といわれる。それが江戸に伝わり、江戸ならではの売り声が生まれた。しかし、第2次大戦を境に減っていく。昭和40年ごろまでは一部残っていたが、今や売り声は、廃品回収でも焼き芋でも、録音を流すものばかりだ。(つづく)
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