志摩制基さん
宮城県石巻市には、自分と最も親しい志摩喜代一さんがいます。宮城水産高校時代はラグビーをクラブ活動としてやっていました。夜は日和山にある石巻道場において躰道を習っておりました。
自分が昭和45年からショーボンド建設仙台支店に赴任していたときには、東北大学と東北学院大学に躰道部を創部して学生たちを指導していました。そして毎週土曜日には、仙台から石巻まで車で行って、石巻道場で躰道を指導していました。その道場は、石巻出身の境一成先生が後進のために建設した道場でありました。当時、三浦照雄さんや和田さんなどが指導者として活躍をしていました。自分が石巻道場に行くようになり、志摩さんと出会いました。当時は茶帯の2級位でありました。
猪苗代で行われていた東京国際大学(当時は国際商科大学)躰道部の合宿に志摩さんが参加したときは、一日のうち半分は練習時間という厳しい合宿であったが、根を上げることもなく合宿練習についてきました。その後一週間は汗が出なかったほど体を絞っていた。とのエピソードがあります。
その後、志摩さんは黒帯となると指導者として頭角を現してきた。全日本躰道選手権大会にも出場して優秀な成績を実績として残しています。東京で開催される指導者研修会には毎回参加していました。東北新幹線はまだ開通していない頃で、土曜日の夜行列車に乗り、上野の駅には早朝に到着して、研修会に臨んでいました。その内、宮城県を代表する指導者となり、第一回東北地区躰道優勝大会の開催に尽力しておりました。その後、毎年東北大会が継続して開催しているのは志摩さんの献身的な努力の賜物であります。
そのように躰道の正統な実技と崇高な理念を真摯に学んでいる姿を見ていた躰道創始者の祝嶺正献最高師範は、志摩さんに「志摩制基」の武道名を贈呈しました。躰道では唯一志摩さんだけが祝嶺最高師範から武道名を貰っています。躰道を会員に指導して、会員から慕われていること。祝嶺最高師範から正統な実技を習得していること。躰道の理念を正しく理解して後進に指導をしている志摩さんの活動を評価して「志摩制基」としての武道名を与えたものであります。
祝嶺正献先生は、次代の指導者として認証したものであります。躰道に関しても自分の利益のためにするのではなく、会員や社会やそして世のためになる姿勢で進んでいる姿は多くの人から尊敬されています。躰道についても理念的にも創始者である祝嶺正献先生の考えをよく理解しているトップの第一人者であります。
現在は、宮城県や東北地区を実技の普及と組織の発展に尽力して活躍をしています。日本躰道協会の発展にも貢献をしております。今では、祝嶺正献最高師範の考えを実践している最もトップにいる人と言って間違いない素晴らしい人その人が志摩制基さんであります。

志摩制基さん(石巻市の日和山にて)