12月9日は躰道の創始者であります祝嶺正献最高師範の生誕98年です。
大正14年(1925年)12月9日。沖縄本島、山原(やんばる)の山脈を西に背負ったこの有銘地方では、12月の雷雨は珍しくない。尚質王の妃真鍋樽(まなんだる 1649~1668)を始祖とし、3百年の由緒ある家歴をもつ祝嶺家の頭領である春栄はすでに40歳、まだ男児がなかった。「男子を授け給え、わが国土に益する子を授け給え」(拳風夙夜より)
1933年(昭和8年)、9歳のときに佐渡山安恒氏に初めて空手を学ぶ
1937年(昭和12年)、岸本祖孝氏に師事する
1953年(昭和28年)、玄制流空手道を創始する
1964年(昭和39年)、「新空手道教範」上梓
1965年(昭和40年)、躰道を集大成し、1月23日に発表。同時に日本躰道協会、躰道本院を設立。日本躰道協会会長、日本躰道本院宗家・最高師範に就任する
1983年(昭和58年)、世界躰道連盟設立、同連盟総監就任
2001年(平成13年)11月26日、静岡県伊東市の躰道本院「岳雲荘」にて没す。享年76歳。
祝嶺正献最高師範には数々の人間離れした伝説の事実があります。
「瓦34枚割り」 テレビの生放送で試割りの実演を依頼されていた祝嶺正献最高師範は、瓦の枚数を何枚にするか制作サイドから相談され、「何枚でも良い」と答えた。「34枚ありますが全部ですか」と念を押された上で重ねて承諾。リハーサルなし、生放送のテレビカメラの前で、34枚積み上げた瓦(祝嶺の腰を越える高さ)を、左半身猫足立ち帆立構えからの右手刀一撃で全て割ったのです。

恩師・佐渡山安恒師範と再会(昭和48年4月4日)

瓦34枚割り