昨日は2冊読んだ。
1冊目は柳田邦男さんの「生きなおす力」(新潮文庫)。
「東日本大震災後の今だからこそ伝えたい 挫折を乗り越えて生きていく道筋」と帯にある。
裏表紙には「未解決の一家惨殺事件で理不尽にも妹を奪われた姉はいかに人生を立て直したか。病を抱えた家族との長き葛藤の末、次男を喪い幾度も挫折感に打ちのめされたと語る著者自身、どのように『生きなおし』を図ったのか、生きるとは-この根源的な問いに深い示唆を与える、円熟の評論集」とある。
本書は「新潮45」の連載を単行本化した「壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別―」、「壊れる日本人再生編」、「人の痛みを感じる国家」、「『気づき』の力-生き方を変え、国を変えるー」に続く第5弾だ。
私は、柳田さんの文章を読むたびに、その紡ぎ出される言葉によって魂が洗われるような気持ちになる。冒頭、授乳中にメールをする若いお母さんたちのショッキングな話にいきなり惹きこまれる。ケータイに関する著者の決してブレない主張が続く。そして大人にとっての絵本の効用について、50歳の社長さんの話を例に説く。「改悛と赦し 気づきの瞬間」では、山口県の母子殺人者への死刑判決とアーミッシュの赦しを対比させながら説き、12歳離れた一番上のお兄様の生涯が敬意をもって記される。一気に読み終えて、大きな充足感があった。
「物事にはあせってもどうしようもないことがあるけれど、時が流れるうちに不思議なことに、柿の実が熟して落ちるように、一筋の光が射してくるような変化が起こる。」-この言葉は、まさに著者が自ら親業破綻という事件(次男が自ら命を絶つという)の後、いかに生きなおしを図ったのかを現わした言葉なのだ、と思う。そして、私が、再発後、紆余曲折を経て今のようなある程度落ち着いた気持ちになったのは、まさにこのようなプロセスであったとも思う。
解説は聖路加国際病院副院長の細谷亮太先生が書いておられる。ご存知のとおり先生は小児がん、小児のターミナルケア等のエキスパートであるが、柳田氏とは30年来の親交があるそうだ。柳田氏は本書を細谷先生に送り、扉に「人との出逢いは、人生の学びの時間」と墨書されたという。そして「本と出逢うことも同じなのだ。」と細谷先生は結ぶ。実に同感である。
2冊目は曽野綾子さんの「貧困の僻地」(新潮文庫)。
本書も「新潮45」の連載を収録したもので、以前このブログでも書いた「貧困の光景」の続編。20余りの“レポート・エッセイ”から成っている。
「僻地とはいかなる場所か」には圧倒されて言葉を失った。間違いなく軟弱な私なぞ、僻地では、今の病気になる前に過酷な環境に耐えきれず、成人すらできなかっただろう、と思う。「ギョーザ事件余話」では、中国製餃子の中毒事件を思い出し、何もなかったようにお弁当のおかずに冷凍食品を使っていることにちょっと息苦しくなった。「女性たちは忙しいから、自分で調理をする暇がないという。しかし今の女性たちは、昔の主婦たちよりずっとたくさんの時間とお金を美容に使っている。年をとっても魅力的な人と言われるためだ。しかし外見の若さの基本は、新鮮で安全な食材を使った食事をすることだろう。人間の長寿や健康の元は、人々の栄養の摂取法の積み重ねの結果だ。もう一つ、若々しい魂を保つためには、精神の栄養が負けず劣らず必要だ。そのためにはたくさんの尊敬すべき人に会い、複雑な人生の機微に触れた会話に加わり、強烈な現世の限界の姿に触れる体験をし、何よりもたくさんの読書をしなければならない。しかしそういうことにはほとんど時間もお金も使わない人たちが、どうして若さと美貌を保てるのか、私は不思議でならないのである。本も読まず、冷凍食品で食事をし続けたら、身心共に早く年老いることだけは明白だと思う。」・・・猛省である。
「休日医者」では「思えば一人の人生の設計というものは、不思議なものだ。私は最近の若者のように、すべてを国家や社会や他人のせいにするのが嫌いで、なんでも自己責任です、などと言うのだが、実は運命は個人が決定するだけではない面があるのを知っている。もちろん、自己の運命の第一責任者は自分だ。ただし周辺もそのために動いている。良いことも悪いことも、望ましいことも望ましくないことも、健康も病気も、悲しみも喜びも、なぜか平等にそのために動員される。要はそれらの要素を、当人が使いこなせるかどうかだけだ。」が心に沁み入った。要はやはり自分次第だのだ、と思う。
今日は文化の日。晴れの特異日だというのに、一日中曇り空だった。休みをいいことにすっかり寝坊をし、ろくに家事もせず、だらだらと過ごした。朝一番のピラティスをキャンセルし、代わりに昼からなら、と思ったヨガも見送り、滑り込みで夕方のヨガで汗を流したら、少しシャッキリした。
いつもは投与翌日でも当然出勤するわけだから、やはり気が張っているのだなあと思う。食欲はあまりなく遅い朝食の後、お昼は抜いて夕食も少な目にしたので今のところそれほど吐き気はないが、やはりお腹のモタモタ感は否めない。とにかく明日出勤すれば、またお休みだ。
1冊目は柳田邦男さんの「生きなおす力」(新潮文庫)。
「東日本大震災後の今だからこそ伝えたい 挫折を乗り越えて生きていく道筋」と帯にある。
裏表紙には「未解決の一家惨殺事件で理不尽にも妹を奪われた姉はいかに人生を立て直したか。病を抱えた家族との長き葛藤の末、次男を喪い幾度も挫折感に打ちのめされたと語る著者自身、どのように『生きなおし』を図ったのか、生きるとは-この根源的な問いに深い示唆を与える、円熟の評論集」とある。
本書は「新潮45」の連載を単行本化した「壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別―」、「壊れる日本人再生編」、「人の痛みを感じる国家」、「『気づき』の力-生き方を変え、国を変えるー」に続く第5弾だ。
私は、柳田さんの文章を読むたびに、その紡ぎ出される言葉によって魂が洗われるような気持ちになる。冒頭、授乳中にメールをする若いお母さんたちのショッキングな話にいきなり惹きこまれる。ケータイに関する著者の決してブレない主張が続く。そして大人にとっての絵本の効用について、50歳の社長さんの話を例に説く。「改悛と赦し 気づきの瞬間」では、山口県の母子殺人者への死刑判決とアーミッシュの赦しを対比させながら説き、12歳離れた一番上のお兄様の生涯が敬意をもって記される。一気に読み終えて、大きな充足感があった。
「物事にはあせってもどうしようもないことがあるけれど、時が流れるうちに不思議なことに、柿の実が熟して落ちるように、一筋の光が射してくるような変化が起こる。」-この言葉は、まさに著者が自ら親業破綻という事件(次男が自ら命を絶つという)の後、いかに生きなおしを図ったのかを現わした言葉なのだ、と思う。そして、私が、再発後、紆余曲折を経て今のようなある程度落ち着いた気持ちになったのは、まさにこのようなプロセスであったとも思う。
解説は聖路加国際病院副院長の細谷亮太先生が書いておられる。ご存知のとおり先生は小児がん、小児のターミナルケア等のエキスパートであるが、柳田氏とは30年来の親交があるそうだ。柳田氏は本書を細谷先生に送り、扉に「人との出逢いは、人生の学びの時間」と墨書されたという。そして「本と出逢うことも同じなのだ。」と細谷先生は結ぶ。実に同感である。
2冊目は曽野綾子さんの「貧困の僻地」(新潮文庫)。
本書も「新潮45」の連載を収録したもので、以前このブログでも書いた「貧困の光景」の続編。20余りの“レポート・エッセイ”から成っている。
「僻地とはいかなる場所か」には圧倒されて言葉を失った。間違いなく軟弱な私なぞ、僻地では、今の病気になる前に過酷な環境に耐えきれず、成人すらできなかっただろう、と思う。「ギョーザ事件余話」では、中国製餃子の中毒事件を思い出し、何もなかったようにお弁当のおかずに冷凍食品を使っていることにちょっと息苦しくなった。「女性たちは忙しいから、自分で調理をする暇がないという。しかし今の女性たちは、昔の主婦たちよりずっとたくさんの時間とお金を美容に使っている。年をとっても魅力的な人と言われるためだ。しかし外見の若さの基本は、新鮮で安全な食材を使った食事をすることだろう。人間の長寿や健康の元は、人々の栄養の摂取法の積み重ねの結果だ。もう一つ、若々しい魂を保つためには、精神の栄養が負けず劣らず必要だ。そのためにはたくさんの尊敬すべき人に会い、複雑な人生の機微に触れた会話に加わり、強烈な現世の限界の姿に触れる体験をし、何よりもたくさんの読書をしなければならない。しかしそういうことにはほとんど時間もお金も使わない人たちが、どうして若さと美貌を保てるのか、私は不思議でならないのである。本も読まず、冷凍食品で食事をし続けたら、身心共に早く年老いることだけは明白だと思う。」・・・猛省である。
「休日医者」では「思えば一人の人生の設計というものは、不思議なものだ。私は最近の若者のように、すべてを国家や社会や他人のせいにするのが嫌いで、なんでも自己責任です、などと言うのだが、実は運命は個人が決定するだけではない面があるのを知っている。もちろん、自己の運命の第一責任者は自分だ。ただし周辺もそのために動いている。良いことも悪いことも、望ましいことも望ましくないことも、健康も病気も、悲しみも喜びも、なぜか平等にそのために動員される。要はそれらの要素を、当人が使いこなせるかどうかだけだ。」が心に沁み入った。要はやはり自分次第だのだ、と思う。
今日は文化の日。晴れの特異日だというのに、一日中曇り空だった。休みをいいことにすっかり寝坊をし、ろくに家事もせず、だらだらと過ごした。朝一番のピラティスをキャンセルし、代わりに昼からなら、と思ったヨガも見送り、滑り込みで夕方のヨガで汗を流したら、少しシャッキリした。
いつもは投与翌日でも当然出勤するわけだから、やはり気が張っているのだなあと思う。食欲はあまりなく遅い朝食の後、お昼は抜いて夕食も少な目にしたので今のところそれほど吐き気はないが、やはりお腹のモタモタ感は否めない。とにかく明日出勤すれば、またお休みだ。