昨日は2冊読んだ。
1冊目は大崎善生さんの「アジアンタムブルー」(角川文庫)。
“アジアンタム”とはシダ科の観葉植物。涼しげにハート型の葉を揺らすその姿は若い女性に人気だそうだが、昔、我が家でも育てていた。一度枯れはじめると手の施しようがない繊細さを持つ。その状態を“アジアンタムブルー”と呼ぶそうだが、ごくまれにその“憂鬱”を抜けだし、再び青々とした葉を茂らせることがあるという。タイトルは、このアジアンタムを大切に育てていた主人公の恋人・葉子の台詞とオーバーラップしている。
大崎さんの著作は「優しい子よ」を読んだことがあったが、とても透明感あふれる文章を書く方だ。本作は2006年に映画化されているが、こちらは見ていない。フランスのニースでロケが敢行されたということだが、30年近く前の卒業旅行と17年前の研修の時に訪れた時のことを思い出した。まだ春先だったが、本当に陽射しが溢れて青い海、青い空、美しい砂浜、ミモザの花が溢れるカーニヴァル、シャガールの美術館などなど、長く滞在したくなる素敵な街だった。
「葉子を病で失ってからというもの、僕はいつもデパートの屋上で空を見上げていた-。万引きを犯し、衆人の前で手酷く痛めつけられた中学の時の心の傷、高校の先輩女性との官能的な体験、不倫による心中で夫を亡くした女性との不思議な縁、ファンの心を癒すSМの女王……。主人公山崎が巡り合った心優しき人々と、南仏ニースでの葉子との最後の日々。」と裏表紙にあるとおり、かなり特異な体験をした登場人物が出てくるのだが、筆致がとても優しいので、全くそういう感じがしないのが不思議なほど。
2冊目は曽野綾子さんの「なぜ子供のままの大人が増えたのか」(だいわ文庫)。
「本書は2005年に「『受ける』より『与える』ほうが幸いである」に追記し、再編集、改題したものです」とあるが、文庫版が出たのは今年の5月。そのため、文庫版のためのまえがきには東日本大震災についての記述もある。
耳の痛い話が沢山、そして思わず頷く話も沢山。
第1章「何でも正直に言えばいいとは限らない」、第2章「人も国も、違うからおもしろい」、第3章「意見の不一致は楽しい」、第4章「子供に嫌われたくない大人たち」からなる。
特に最終章は子どもに迎合する社会、教育の基本ルール、「したくないこと」をする等、本書の題名に沿った内容が満載である。
最後に2003年5月に宮川優さんという方が産経新聞の「朝の詩」に書いたものを紹介されているが、私も筆者と同じようにとても強烈な社会的な意味に打たれたので、以下転載させて頂く。
「凧が空高く飛べるのは
誰かが糸を
引っ張っているから
でも凧は
その糸さえなければ
もっと自由に
空を飛べると
思っている
その糸がなければ
地上に
落ちてしまうのも
知らずに」
「凧の糸は、失敗、苦労、不運、貧乏、家族に対する扶養義務、自分や家族の病気に対する精神的支援、理解されないこと、誤解されること、などのことだ。それらは確かに自由を縛るようには見えるが、その重い糸に縛られたときに、初めて凧は強風の青空に昂然と舞うのである。」
今日もいいお天気。陽射しは明るく、澄み切って抜けるような青空。見上げるとまだ散らずに頑張っている銀杏の黄色い葉が眩しいほどだ。
今朝起きてリビングに行くと、これまで20度以上あった部屋の温度が初めて19度5分と20度を割っていた。
いよいよ冬が来た、と実感する。
朝食時にはなんとか今日は大丈夫かも・・・と思っていたお腹の気持ち悪さがだんだん酷くなってきて、生唾が出て涙ぐむ。昼食前、迷わずナウゼリンを飲んだ。そうして夕方もう一度飲んで、なんとか1日の仕事をやり過ごせた。
ようやく金曜日。副作用がこれ以上酷くない週末でありますように。
1冊目は大崎善生さんの「アジアンタムブルー」(角川文庫)。
“アジアンタム”とはシダ科の観葉植物。涼しげにハート型の葉を揺らすその姿は若い女性に人気だそうだが、昔、我が家でも育てていた。一度枯れはじめると手の施しようがない繊細さを持つ。その状態を“アジアンタムブルー”と呼ぶそうだが、ごくまれにその“憂鬱”を抜けだし、再び青々とした葉を茂らせることがあるという。タイトルは、このアジアンタムを大切に育てていた主人公の恋人・葉子の台詞とオーバーラップしている。
大崎さんの著作は「優しい子よ」を読んだことがあったが、とても透明感あふれる文章を書く方だ。本作は2006年に映画化されているが、こちらは見ていない。フランスのニースでロケが敢行されたということだが、30年近く前の卒業旅行と17年前の研修の時に訪れた時のことを思い出した。まだ春先だったが、本当に陽射しが溢れて青い海、青い空、美しい砂浜、ミモザの花が溢れるカーニヴァル、シャガールの美術館などなど、長く滞在したくなる素敵な街だった。
「葉子を病で失ってからというもの、僕はいつもデパートの屋上で空を見上げていた-。万引きを犯し、衆人の前で手酷く痛めつけられた中学の時の心の傷、高校の先輩女性との官能的な体験、不倫による心中で夫を亡くした女性との不思議な縁、ファンの心を癒すSМの女王……。主人公山崎が巡り合った心優しき人々と、南仏ニースでの葉子との最後の日々。」と裏表紙にあるとおり、かなり特異な体験をした登場人物が出てくるのだが、筆致がとても優しいので、全くそういう感じがしないのが不思議なほど。
2冊目は曽野綾子さんの「なぜ子供のままの大人が増えたのか」(だいわ文庫)。
「本書は2005年に「『受ける』より『与える』ほうが幸いである」に追記し、再編集、改題したものです」とあるが、文庫版が出たのは今年の5月。そのため、文庫版のためのまえがきには東日本大震災についての記述もある。
耳の痛い話が沢山、そして思わず頷く話も沢山。
第1章「何でも正直に言えばいいとは限らない」、第2章「人も国も、違うからおもしろい」、第3章「意見の不一致は楽しい」、第4章「子供に嫌われたくない大人たち」からなる。
特に最終章は子どもに迎合する社会、教育の基本ルール、「したくないこと」をする等、本書の題名に沿った内容が満載である。
最後に2003年5月に宮川優さんという方が産経新聞の「朝の詩」に書いたものを紹介されているが、私も筆者と同じようにとても強烈な社会的な意味に打たれたので、以下転載させて頂く。
「凧が空高く飛べるのは
誰かが糸を
引っ張っているから
でも凧は
その糸さえなければ
もっと自由に
空を飛べると
思っている
その糸がなければ
地上に
落ちてしまうのも
知らずに」
「凧の糸は、失敗、苦労、不運、貧乏、家族に対する扶養義務、自分や家族の病気に対する精神的支援、理解されないこと、誤解されること、などのことだ。それらは確かに自由を縛るようには見えるが、その重い糸に縛られたときに、初めて凧は強風の青空に昂然と舞うのである。」
今日もいいお天気。陽射しは明るく、澄み切って抜けるような青空。見上げるとまだ散らずに頑張っている銀杏の黄色い葉が眩しいほどだ。
今朝起きてリビングに行くと、これまで20度以上あった部屋の温度が初めて19度5分と20度を割っていた。
いよいよ冬が来た、と実感する。
朝食時にはなんとか今日は大丈夫かも・・・と思っていたお腹の気持ち悪さがだんだん酷くなってきて、生唾が出て涙ぐむ。昼食前、迷わずナウゼリンを飲んだ。そうして夕方もう一度飲んで、なんとか1日の仕事をやり過ごせた。
ようやく金曜日。副作用がこれ以上酷くない週末でありますように。