昨夜も夜中、気持ち悪さで目が覚める。夫の鼾でそのまま朝まで眠れずじまい。結局、朝になってから二度寝を決め込む。今日は本当に主婦返上。夫に、朝から晩まで炊事やら買い物やら、主夫をさせてしまった。終日掃除も洗濯も全く手つかずで、ずっとリビングで横になって、ビデオと読書と時々ウトウト、という体たらくだった。
相変わらず朝も食欲がなく、ナウゼリンを飲んで、昼近くに赤いヨーグルトと果物を少々。イメンドは昨日で終了しているので、デカドロン8錠のみ。ステロイドのせいか、昨日からやけに顔が火照って熱っぽい。検温しても6度台に過ぎないのだが、だるさが気になる。お手洗では引き続きアセロラジュース状が続いている。
明日は休暇をとっているのがまだ慰めだ。
元気溌剌の息子には悪いけれど、今日は昼にスポーツクラブに行ってもらい、遅い昼食後は「塾のやり残した講座が終わるまで頑張れ!」と送り出し、静かに休ませてもらった。
胃が痛むほど空腹なのに、気持ちの悪さで食欲がない状態が続く。さすがに夕飯はナウゼリンの後、ぼちぼちとお腹に入れた。食後にはアイスクリームが一つ食べられた。カロリー的にはそうそう不足していないように思う。
さて、このブログで何度かご紹介した読売新聞医療サイトで、高野先生の連載が、月末で終了したことに気付いた。長文だが以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~2012年10月31日(読売新聞)
がん患者の「幸せ」
私は、抗がん剤治療や分子標的治療などの「がん薬物療法」を専門とする、「腫瘍内科医」です。目の前の患者さんに適切な薬物療法を行いつつ、新薬の開発や、よりよい治療法を確立するための臨床試験にも取り組んでいます。
がん薬物療法は日々進歩しており、その恩恵を受けている患者さんは、確実に増えています。乳がんに対するトラスツズマブ、慢性骨髄性白血病に対するイマチニブ、肺がんに対するゲフィチニブなど、がん細胞を狙い撃ちにする「分子標的治療薬」の登場もあり、ここ10年間で、進行がんの患者さんの命の長さがだいぶ伸びていることを実感しています。
「がんとうまく長くつきあう」ための治療が進歩しているというのは、腫瘍内科医としても、喜ばしいことです。
でも、いつも、こんな疑問も抱きます。
「薬物療法は進歩し、選択肢も増えてきたが、はたして、人間は幸せになったのだろうか?」
「がん患者は、以前よりも幸せな人生を送り、幸せな最期を迎えているだろうか?」
治療の進歩より、ふくらむ期待
私には、がん患者の「幸せ」が、新薬がもたらした恩恵ほどには増えていないように思えます。薬物療法の進歩以上に、人々の期待が過剰にふくらんでしまっていることが、その一因のようです。
以前と比べ相当進歩した治療を受けても、その治療が効かなくなったとき、患者さんの多くは、治療から受けた恩恵に感謝するのではなく、「次は、これよりももっといい治療があるはずだ」と考えます。
テレビや雑誌を見れば、「画期的」な治療の話は、たくさん溢れています。日本は薬の承認が遅い(「ドラッグラグ」と言います)という話ですので、どうやら、欧米だったらもっといい治療を受けられそうです。iPS細胞などの話題をみても、科学技術の進歩はすさまじく、あと10年も待てば、すごい新薬が出てきそうです。
世の中には、そういう、「どこかに画期的な治療がある」というイメージが満ち溢れています。そんな進歩の中にあるのに、がんで最期を迎えてしまうなんて・・・。 欧米に生まれていたら・・・10年後の世界に生きていたら・・・もっといい治療にありつけていたら・・・。
変わらぬ「満たされない感じ」
がん患者は、世の中の夢物語と、自分の直面している現実とのギャップに、「満たされない感じ」を抱くことが多いようです。そうして、「がん難民」が生まれ、多くの患者さんが、不幸を嘆きながら最期を迎えています。
マスメディアは、「がん難民」が生まれる元凶は、「ドラッグラグ」にあるかのように伝えています。確かに解決すべき重要な課題ではありますが、私は、「ドラッグラグ」が完全に解消したとしても、「満たされない感じ」は変わらないと思っています。10年後の世界にタイムスリップできたとしても、「さらに10年後の世界に生きていたらよかったのに」と思うだけのような気がします。
実際、10年前には使えなかった薬が、今は普通に使えるようになっていますが、「いい時代になった」と、その進歩に満足する人よりも、「まだまだ遅れている」と嘆く人の方が多いようです。
「ドラッグラグ」が根本的な問題であり、それを解決すればがん患者が救われるかのような論調がまかり通っていますが、これは、問題を矮小化していて、むしろ、本質を見誤っています。
根底にある考え方を変えない限り、ドラッグラグが解消しても、欧米に移住しても、10年後にタイプスリップしても、人間は幸せになれないような気がします。
「治療」と違う部分にある「希望」
では、どう考えたらいいのでしょうか?
私たちは、今ある治療を適切に使い、その恩恵を享受しつつ、治療の限界も知る必要があります。そして、「もっといい治療があったら」という幻想にすがるのではなく、「治療」とは違う部分にある、「より大切なもの」に目を向けるべきなのだと思います。そこに、「幸せ」や「希望」を見出してほしい、というのが、私がこのブログを通じて伝えたかった一番のメッセージです。
「より大切なもの」「幸せ」「希望」という抽象的な言葉では、伝わりにくいのは承知していますが、具体的にそれが何なのかは、一人ひとりで考えていただきたいところです。
治療は人生の一部にすぎません。治療に限界があっても、人生には無限の可能性があると、私は思っています。治療の恩恵を最大限引き出す努力をしつつ、その限界もわきまえながら、患者さん一人ひとりの人生を支えていきたい、というのが、腫瘍内科医としての私の想いです。
今年2~4月に読売新聞夕刊に連載させていただいた「がんの診察室」の続編として、8月より3か月間、このブログを書かせていただきました。
ブログへのコメント等で、多くの方々から貴重なご意見をいただきました。ご批判も多く頂戴し、取り上げたテーマが、簡単に答えの出る問題ではないことを改めて痛感しましたが、このブログを通じて、皆様と意見交換できたのはいい経験でした。励ましの言葉や、生産的なアドバイスを下さった方々にも、心より感謝申し上げます。
また、「患者よがんと闘うな」とか、「抗がん剤でがんに勝つ」といった、極端な表現を好むメディアの中で、どっちつかずの私の考え方を文章にするように勧めてくれた、読売新聞の担当の方々にも、この場を借りて、御礼申し上げます。
このブログは、当初の予定通り、今回で一旦終了とさせていただきますが、いつかまた機会があれば、何らかの形で続編を書きたいと思っています。
皆様とも、またお目にかかれるのを楽しみにしています。
(転載終了)※ ※ ※
確かに、あと何年か粘ったら、もしかしたら助かるかもしれない、という希望はどの患者も持っているだろう。希望を持ち続けていないとこんなに辛い治療は続けられないだろうから。けれど、先生が書かれているように、そのことが原因でいつまでたっても満たされないとしたら、それはやはり幸せではないかもしれない。もっともっと・・・と自分で自分を追い込み、自分で自分の首を絞めてしまうというのは、治療でなくともこれまで自分がやってきたことだな、と振り返ってみる。
人間として生を受けたからには必ず旅立っていかなければならない。命の長さがその人その人によって異なってくるのは当然だ。けれど、長ければいいというものでもない。その中身を少しでも自ら納得できるようなものにするために、もう一度自分は“生かされている”ということを肝に銘じつつ、自分らしい人生をこれからも歩んでいければと思う。
また、先生の連載が読める日を楽しみにして・・・。
相変わらず朝も食欲がなく、ナウゼリンを飲んで、昼近くに赤いヨーグルトと果物を少々。イメンドは昨日で終了しているので、デカドロン8錠のみ。ステロイドのせいか、昨日からやけに顔が火照って熱っぽい。検温しても6度台に過ぎないのだが、だるさが気になる。お手洗では引き続きアセロラジュース状が続いている。
明日は休暇をとっているのがまだ慰めだ。
元気溌剌の息子には悪いけれど、今日は昼にスポーツクラブに行ってもらい、遅い昼食後は「塾のやり残した講座が終わるまで頑張れ!」と送り出し、静かに休ませてもらった。
胃が痛むほど空腹なのに、気持ちの悪さで食欲がない状態が続く。さすがに夕飯はナウゼリンの後、ぼちぼちとお腹に入れた。食後にはアイスクリームが一つ食べられた。カロリー的にはそうそう不足していないように思う。
さて、このブログで何度かご紹介した読売新聞医療サイトで、高野先生の連載が、月末で終了したことに気付いた。長文だが以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~2012年10月31日(読売新聞)
がん患者の「幸せ」
私は、抗がん剤治療や分子標的治療などの「がん薬物療法」を専門とする、「腫瘍内科医」です。目の前の患者さんに適切な薬物療法を行いつつ、新薬の開発や、よりよい治療法を確立するための臨床試験にも取り組んでいます。
がん薬物療法は日々進歩しており、その恩恵を受けている患者さんは、確実に増えています。乳がんに対するトラスツズマブ、慢性骨髄性白血病に対するイマチニブ、肺がんに対するゲフィチニブなど、がん細胞を狙い撃ちにする「分子標的治療薬」の登場もあり、ここ10年間で、進行がんの患者さんの命の長さがだいぶ伸びていることを実感しています。
「がんとうまく長くつきあう」ための治療が進歩しているというのは、腫瘍内科医としても、喜ばしいことです。
でも、いつも、こんな疑問も抱きます。
「薬物療法は進歩し、選択肢も増えてきたが、はたして、人間は幸せになったのだろうか?」
「がん患者は、以前よりも幸せな人生を送り、幸せな最期を迎えているだろうか?」
治療の進歩より、ふくらむ期待
私には、がん患者の「幸せ」が、新薬がもたらした恩恵ほどには増えていないように思えます。薬物療法の進歩以上に、人々の期待が過剰にふくらんでしまっていることが、その一因のようです。
以前と比べ相当進歩した治療を受けても、その治療が効かなくなったとき、患者さんの多くは、治療から受けた恩恵に感謝するのではなく、「次は、これよりももっといい治療があるはずだ」と考えます。
テレビや雑誌を見れば、「画期的」な治療の話は、たくさん溢れています。日本は薬の承認が遅い(「ドラッグラグ」と言います)という話ですので、どうやら、欧米だったらもっといい治療を受けられそうです。iPS細胞などの話題をみても、科学技術の進歩はすさまじく、あと10年も待てば、すごい新薬が出てきそうです。
世の中には、そういう、「どこかに画期的な治療がある」というイメージが満ち溢れています。そんな進歩の中にあるのに、がんで最期を迎えてしまうなんて・・・。 欧米に生まれていたら・・・10年後の世界に生きていたら・・・もっといい治療にありつけていたら・・・。
変わらぬ「満たされない感じ」
がん患者は、世の中の夢物語と、自分の直面している現実とのギャップに、「満たされない感じ」を抱くことが多いようです。そうして、「がん難民」が生まれ、多くの患者さんが、不幸を嘆きながら最期を迎えています。
マスメディアは、「がん難民」が生まれる元凶は、「ドラッグラグ」にあるかのように伝えています。確かに解決すべき重要な課題ではありますが、私は、「ドラッグラグ」が完全に解消したとしても、「満たされない感じ」は変わらないと思っています。10年後の世界にタイムスリップできたとしても、「さらに10年後の世界に生きていたらよかったのに」と思うだけのような気がします。
実際、10年前には使えなかった薬が、今は普通に使えるようになっていますが、「いい時代になった」と、その進歩に満足する人よりも、「まだまだ遅れている」と嘆く人の方が多いようです。
「ドラッグラグ」が根本的な問題であり、それを解決すればがん患者が救われるかのような論調がまかり通っていますが、これは、問題を矮小化していて、むしろ、本質を見誤っています。
根底にある考え方を変えない限り、ドラッグラグが解消しても、欧米に移住しても、10年後にタイプスリップしても、人間は幸せになれないような気がします。
「治療」と違う部分にある「希望」
では、どう考えたらいいのでしょうか?
私たちは、今ある治療を適切に使い、その恩恵を享受しつつ、治療の限界も知る必要があります。そして、「もっといい治療があったら」という幻想にすがるのではなく、「治療」とは違う部分にある、「より大切なもの」に目を向けるべきなのだと思います。そこに、「幸せ」や「希望」を見出してほしい、というのが、私がこのブログを通じて伝えたかった一番のメッセージです。
「より大切なもの」「幸せ」「希望」という抽象的な言葉では、伝わりにくいのは承知していますが、具体的にそれが何なのかは、一人ひとりで考えていただきたいところです。
治療は人生の一部にすぎません。治療に限界があっても、人生には無限の可能性があると、私は思っています。治療の恩恵を最大限引き出す努力をしつつ、その限界もわきまえながら、患者さん一人ひとりの人生を支えていきたい、というのが、腫瘍内科医としての私の想いです。
今年2~4月に読売新聞夕刊に連載させていただいた「がんの診察室」の続編として、8月より3か月間、このブログを書かせていただきました。
ブログへのコメント等で、多くの方々から貴重なご意見をいただきました。ご批判も多く頂戴し、取り上げたテーマが、簡単に答えの出る問題ではないことを改めて痛感しましたが、このブログを通じて、皆様と意見交換できたのはいい経験でした。励ましの言葉や、生産的なアドバイスを下さった方々にも、心より感謝申し上げます。
また、「患者よがんと闘うな」とか、「抗がん剤でがんに勝つ」といった、極端な表現を好むメディアの中で、どっちつかずの私の考え方を文章にするように勧めてくれた、読売新聞の担当の方々にも、この場を借りて、御礼申し上げます。
このブログは、当初の予定通り、今回で一旦終了とさせていただきますが、いつかまた機会があれば、何らかの形で続編を書きたいと思っています。
皆様とも、またお目にかかれるのを楽しみにしています。
(転載終了)※ ※ ※
確かに、あと何年か粘ったら、もしかしたら助かるかもしれない、という希望はどの患者も持っているだろう。希望を持ち続けていないとこんなに辛い治療は続けられないだろうから。けれど、先生が書かれているように、そのことが原因でいつまでたっても満たされないとしたら、それはやはり幸せではないかもしれない。もっともっと・・・と自分で自分を追い込み、自分で自分の首を絞めてしまうというのは、治療でなくともこれまで自分がやってきたことだな、と振り返ってみる。
人間として生を受けたからには必ず旅立っていかなければならない。命の長さがその人その人によって異なってくるのは当然だ。けれど、長ければいいというものでもない。その中身を少しでも自ら納得できるようなものにするために、もう一度自分は“生かされている”ということを肝に銘じつつ、自分らしい人生をこれからも歩んでいければと思う。
また、先生の連載が読める日を楽しみにして・・・。