昨夕は帰宅後、そのままベッドに直行することもなく、なんとか踏ん張って夕食の支度が出来た。
「出来ない時は出来ない。けれど、出来る時はやるから」というスタンスでいられれば、それほど精神的に追い込まれることもない、ということにようやく気付く。
明日も楽が出来るから、と今日の夕飯の支度まで圧力鍋の助けを借りて仕込みが済んだ。
夕食はとても久しぶりに生野菜が喉を通った。普段に比べればまだまだ全然ちょっぴりだけれど、気持ち悪さがあっても、お腹に入れようという気持ちになり、だるさが少しずつ解消してきたように思う。こうして動けるようになってくると、気持ちの持ち方が全く違う。そうはいうものの、いきなり無理をして逆戻りしても頂けないので、さっさと入浴してベッドに入る。
夜中に気持ち悪さで2回起きてしまったが、朝は、昨日よりはベッドから離れるのが辛くなかった。
太陽の力が大きいのかな、と思う。昨日は雨降り、今日は陽射しが降り注いでいる。実に単純なお天気猫である。
朝食とお弁当の支度をして、1週間ぶりにトーストを食べた。治療後にトーストが食べられるようになるまで毎回こうして1週間かかる。
相変わらず青汁は飲めないが、一歩ずつ、だ。明日は飲めるようになっているかもしれない。
少しでもお腹に入っていれば、歩きながら酷くフラフラすることもない。そして、明日からグランの注射が始まれば、今回の治療も山を超えることになる。ようやく折り返し地点だ。昨日までは、こんなふうに治療を続けながら仕事に行くのももう限界かな、と弱気に思うこともあったが、太陽を見て、少し顔をあげられるようになると、あと3回、きっと乗り切ろうと思う。毎回のように単純な私である。
少し時間が経ってしまったが、何度かご紹介している毎日新聞の医療サイトからのコラムの最新号を、以下に転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)<診察室のワルツ>/36 「言わないで」の依頼=岡本左和子
2012年10月31日(水)13:00(毎日新聞)
患者から「自分の病状のことは家族には言わないで」と頼まれた経験のある医師や看護師は多いと思います。例えば、がんの診断を受けた母親が、「娘の結婚式が終わるまでは心配させたくない」と、担当医や看護師に病状を知らせないように頼んだという話はよく耳にします。
こういう場合、「患者から家族に言わないように頼まれたが、重い病気でもあり、家族の支えが必要だろう」と家族に伝える医療者と、「患者の希望だから」と話さない医療者に分かれます。言わなければ、後から家族に「大事なことなのになぜ知らせなかったのか」と怒られ、言えば「患者の気持ちをないがしろにした」と患者に怒られ、医療者は板挟みになります。
欧米では、このようなケースに対応するルールが明確です。個人の権利を第一に尊重するため、患者から「言わないで」と依頼された場合は、たとえ相手が家族であっても、患者の病状を勝手に知らせることはできません。反対に、家族から「患者に病状を伝えないで」と頼まれても、心情は痛いほど伝わるものの、患者の病状を本人に内緒にすることはできないことになっています。日本では個人情報保護法によって、個人情報を本人の了解なしに他に漏らすことはできなくなりました。患者の思いが尊重されることになり、日本の医療者が板挟みになることが減っているのかもしれません。
病を患った時、病気と治療方法を十分に理解することは、どこで、誰に、どのように治療してもらいたいか、その病を持った後の生き方など、その患者の尊厳に大きく関わります。「患者はつらいだろうから病状は知らせないであげよう」というのは、一見、思いやりがあって優しいようですが、患者が自分のことを決める権利を奪っています。心情的には理解できますが、医学的に必要な場合を除いて、あってはならないことです。そのため、医療者には患者本人を支えながら、希望を失わないように、厳しい病状を伝えることが期待されます。一方、家族に知らせたくない患者の思い、患者に知らせたくない家族の思いは、家族内で健康な時から話し合い、理解を深めておく問題です。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)
(転載終了)※ ※ ※
こと、乳がんという病に関してはボティイメージもあり、本人が知らないままの治療はありえない。一度罹患すれば長く付き合っていく病気だから、何も知らずに治療が続けられることもない。
病院で、病状等についてきちんと告知してほしいかどうか、初診の問診票でも聞かれるようになって久しいと思う。
けれど、実際、私は高齢の両親に私の詳しい病状を逐一報告しているわけでもないし(もちろん、順番を守れなくなりそうになったら、黙っているわけにはいかないのだろうけれど)、ここで紹介されている患者と同じようなことをやっているのかしら、と下を向く。
逆に、両親が病に倒れた時のことを思えばどうなのか、と。今、現に施設に入っている義母はどうなのか、と。
患者の尊厳に関わることであり、本人がそのことを理解出来、病と闘っていく気力・体力があるならまだしも、そうでない時にどこまで知らせるのか、というのは家族としても悩みどころだろう。けれど、患者本人が自分の病状を知らないまま、会いたいと思っていた人と逢うことなく旅立ってしまうことがあるとしたら・・・。
ありきたりかもしれないけれど、だからこそ、岡本さんも書かれている通り、元気なうちにきちんとお互いに話し合っておくことが必要なのだろうと思う。
私は今、最期まできちんと自分の病状に向き合って生き抜きたいと思ってはいるが、果たしてそのことを周囲がどこまで理解してくれるかについては甚だ心もとなく、理解してもらう努力を自分自身がしているかと言われればこれまた自信がない。
帰宅すると今月第1回のお花が届いていた。早速水切りをして活けてみた。真紅のバラ3本と淡いピンクのバラ2本、「ベツレヘムの星」と呼ばれる白いオーニソガラムが3本と文字通り青い星のような小花のブルースターが2本。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「潔白」、「信じあう心」だという。
「出来ない時は出来ない。けれど、出来る時はやるから」というスタンスでいられれば、それほど精神的に追い込まれることもない、ということにようやく気付く。
明日も楽が出来るから、と今日の夕飯の支度まで圧力鍋の助けを借りて仕込みが済んだ。
夕食はとても久しぶりに生野菜が喉を通った。普段に比べればまだまだ全然ちょっぴりだけれど、気持ち悪さがあっても、お腹に入れようという気持ちになり、だるさが少しずつ解消してきたように思う。こうして動けるようになってくると、気持ちの持ち方が全く違う。そうはいうものの、いきなり無理をして逆戻りしても頂けないので、さっさと入浴してベッドに入る。
夜中に気持ち悪さで2回起きてしまったが、朝は、昨日よりはベッドから離れるのが辛くなかった。
太陽の力が大きいのかな、と思う。昨日は雨降り、今日は陽射しが降り注いでいる。実に単純なお天気猫である。
朝食とお弁当の支度をして、1週間ぶりにトーストを食べた。治療後にトーストが食べられるようになるまで毎回こうして1週間かかる。
相変わらず青汁は飲めないが、一歩ずつ、だ。明日は飲めるようになっているかもしれない。
少しでもお腹に入っていれば、歩きながら酷くフラフラすることもない。そして、明日からグランの注射が始まれば、今回の治療も山を超えることになる。ようやく折り返し地点だ。昨日までは、こんなふうに治療を続けながら仕事に行くのももう限界かな、と弱気に思うこともあったが、太陽を見て、少し顔をあげられるようになると、あと3回、きっと乗り切ろうと思う。毎回のように単純な私である。
少し時間が経ってしまったが、何度かご紹介している毎日新聞の医療サイトからのコラムの最新号を、以下に転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)<診察室のワルツ>/36 「言わないで」の依頼=岡本左和子
2012年10月31日(水)13:00(毎日新聞)
患者から「自分の病状のことは家族には言わないで」と頼まれた経験のある医師や看護師は多いと思います。例えば、がんの診断を受けた母親が、「娘の結婚式が終わるまでは心配させたくない」と、担当医や看護師に病状を知らせないように頼んだという話はよく耳にします。
こういう場合、「患者から家族に言わないように頼まれたが、重い病気でもあり、家族の支えが必要だろう」と家族に伝える医療者と、「患者の希望だから」と話さない医療者に分かれます。言わなければ、後から家族に「大事なことなのになぜ知らせなかったのか」と怒られ、言えば「患者の気持ちをないがしろにした」と患者に怒られ、医療者は板挟みになります。
欧米では、このようなケースに対応するルールが明確です。個人の権利を第一に尊重するため、患者から「言わないで」と依頼された場合は、たとえ相手が家族であっても、患者の病状を勝手に知らせることはできません。反対に、家族から「患者に病状を伝えないで」と頼まれても、心情は痛いほど伝わるものの、患者の病状を本人に内緒にすることはできないことになっています。日本では個人情報保護法によって、個人情報を本人の了解なしに他に漏らすことはできなくなりました。患者の思いが尊重されることになり、日本の医療者が板挟みになることが減っているのかもしれません。
病を患った時、病気と治療方法を十分に理解することは、どこで、誰に、どのように治療してもらいたいか、その病を持った後の生き方など、その患者の尊厳に大きく関わります。「患者はつらいだろうから病状は知らせないであげよう」というのは、一見、思いやりがあって優しいようですが、患者が自分のことを決める権利を奪っています。心情的には理解できますが、医学的に必要な場合を除いて、あってはならないことです。そのため、医療者には患者本人を支えながら、希望を失わないように、厳しい病状を伝えることが期待されます。一方、家族に知らせたくない患者の思い、患者に知らせたくない家族の思いは、家族内で健康な時から話し合い、理解を深めておく問題です。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)
(転載終了)※ ※ ※
こと、乳がんという病に関してはボティイメージもあり、本人が知らないままの治療はありえない。一度罹患すれば長く付き合っていく病気だから、何も知らずに治療が続けられることもない。
病院で、病状等についてきちんと告知してほしいかどうか、初診の問診票でも聞かれるようになって久しいと思う。
けれど、実際、私は高齢の両親に私の詳しい病状を逐一報告しているわけでもないし(もちろん、順番を守れなくなりそうになったら、黙っているわけにはいかないのだろうけれど)、ここで紹介されている患者と同じようなことをやっているのかしら、と下を向く。
逆に、両親が病に倒れた時のことを思えばどうなのか、と。今、現に施設に入っている義母はどうなのか、と。
患者の尊厳に関わることであり、本人がそのことを理解出来、病と闘っていく気力・体力があるならまだしも、そうでない時にどこまで知らせるのか、というのは家族としても悩みどころだろう。けれど、患者本人が自分の病状を知らないまま、会いたいと思っていた人と逢うことなく旅立ってしまうことがあるとしたら・・・。
ありきたりかもしれないけれど、だからこそ、岡本さんも書かれている通り、元気なうちにきちんとお互いに話し合っておくことが必要なのだろうと思う。
私は今、最期まできちんと自分の病状に向き合って生き抜きたいと思ってはいるが、果たしてそのことを周囲がどこまで理解してくれるかについては甚だ心もとなく、理解してもらう努力を自分自身がしているかと言われればこれまた自信がない。
帰宅すると今月第1回のお花が届いていた。早速水切りをして活けてみた。真紅のバラ3本と淡いピンクのバラ2本、「ベツレヘムの星」と呼ばれる白いオーニソガラムが3本と文字通り青い星のような小花のブルースターが2本。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「潔白」、「信じあう心」だという。