ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.11.20 EC3回目投与19日後、夫は無事帰宅、息子はまたも皆勤賞逃す

2012-11-20 20:49:17 | 日記
 昨夕、喉が痛いと自らクリニックで診察を受け、夕食をしっかり済ませて9時前には爆睡していた息子。夜中に何回か様子を見に行ったところ、すやすや眠っており、熱が上がって辛そうな様子もなかったので、ほっとしていた。

 今朝も朝食とお弁当の準備をし終えてから起こしに行き、冷えピタの脇のおでこを触ると、なんとまた熱くなっており、赤い顔。分厚く下駄のように大きな足も、グローブのような手も熱をもっていた。測ると7度6分。本人は「(学校には)行こうと思えば行けるけど、(学校は)ウイルスの巣窟だよ。」と言う。

 残念無念・・・。中学時代も頭痛のため、たった一日休んだことで、精勤賞に甘んじたのだが、高校入学以来、これまで1年半以上無遅刻(これについては本人よりも親が頑張って日々辛抱強く起こしている、ということなのだが)・無早退・無欠席(こちらについては本人の健康状態のおかげだろう。)を続けていた。
 卒業式には、高校3年間を通じて皆勤賞で起立して私も立たせてあげる(生徒と親の共同作業ということが学校もご存知のようで、本人だけが立つわけではないようだ。)から、と言っていた(だからこそ、卒業式には是非とも元気で出席したいと思っているのだ。)のに、インフルエンザでもなくまさかの風邪による発熱・・・。泣く泣く諦めて、学校に欠席連絡のメールを入れる。

 それでも朝食は残さずたいらげ、たっぷり温かいお茶を飲んで水分補給し、薬も飲んだ。もしこの後熱が上がるようなら再度クリニックに行くように、と言い置いて、出勤した。
 思えば、発熱したのは3年前に新型インフルエンザに罹って以来のことである。保育園時代、1週間と開けずにクリニックに通っていたことを考えると、まるで別人のように丈夫に育ってくれたものだ。

 夫には出勤前に「○○(息子の名前)君、まさかの風邪で皆勤賞逃す!」とメールを打った。
 昼前に本人から電話があった。すわ具合が悪くなったのか、と焦ったが、間抜けな私が、去年までの欠席連絡メールアドレスに連絡を入れていたため、何の連絡もなく欠席していると心配した担任から電話があったという。今年から欠席連絡メールアドレスが変わっているとは(休んだことがなかったので)知らなかった・・・というのは言い訳に過ぎないけれど。汗をかいて熱は下がってきたというので、とりあえず安堵した。

 夫は予定通りの便で無事羽田に到着。ほとんど私と変わらない時間に帰宅出来た。
 3日ぶりの3人の夕食。これまたしっかりお土産のデザートもたいらげた息子は、さきほど熱を測ったところ、平熱に戻っていた。
 明日こそ復活して学校にも塾にも行ってもらいたいものである。

 私は相変わらず胸骨の痛みと胸部の圧痛に悩まされている。昨日の寒さに懲りて今日もすっかり厚着で出かけたが、お昼の陽射しは優しく、ちょっと汗ばんでしまうほどだった。
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