ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.4.19  私も!-負けるのは美しく-

2013-04-19 21:00:32 | 読書
 児玉清さんの「負けるのは美しく」(集英社文庫)を読んだ。
 児玉さんといえば、読書好きで有名な方。ご自宅の書庫を雑誌の写真で見た時には、羨ましくて垂涎ものだった。長身でダンディで、ファンは多かったのだろうなと思う。が、私世代からすれば、銀幕の映画俳優ではなくテレビの人気クイズ番組の司会者を長年務められた方という印象がとても強い。
 一昨年5月に胃がんのため他界されたのはまだ記憶に新しい。

 その児玉さんの俳優歴50年の半生が綴られたご自身の手によるイラスト入りエッセイである。
 さすがに読書家というだけあって、文章が達者なのにも頷ける。ユーモアたっぷりでありながら、登場人物を思いやった暖かい文章である。
 解説の池内紀さんが書いておられる通り、常につつしみを忘れず、他人への優しさにあふれている。ぶしつけに聞き出すよりも、深い思いを大切にして口をつぐむ姿がエピソードに多々現れる。とりわけ、児玉さんが若い頃に病で倒れた先輩の俳優たちを偲ぶくだりは、ご自身が老いを感じる年齢になったことと重なり、その深さを増している。
 私より4つ年下のお嬢さんを、36歳という若さでスキルス胃がんで亡くされた時のことを綴った「第5章 天国へ逝った娘」は、読みながら本当に辛かった。セカンドオピニオンを巡ってのフィルムデータの紛失事件には、あまりの憤りに言葉を失った。
 児玉さんご夫妻の嘆きの深さに触れるにつけ、やはり順番は何としても守らなければならないと思う。「お父様、お母様、先立つ不孝をお許しください」はないのだな・・・と思う。子どもの死は親にとって耐えがたいことだろう、と実感する。

 そしてあとがきで、本書のタイトルについて語られる。「負けるのは美しく」にはこんな意味があったのだ。
 ずうずうしくも、児玉さんって私に似ているんだ、と思ってしまった。
「・・・心の中には嵐が吹き荒れていても、それをストレートに他人にぶつけることが出来ず、抑えて我慢してしまうため、他人は、それがすべて僕が良しとしているとしか見ないことだ。我慢して我慢して、最後に爆発する、そのことを人が見抜けない。だから爆発すると人はものすごく驚く。・・・僕自身の主張は一杯あっても、それを表に出さないで、協調姿勢を先ず取るために、それで僕が良しとしていると先方に思わせてしまうことだ、実は僕の心は反対意見で充満していても。僕の本質は頑固でかたくなで、本来は協調性の無い意固地な奴なのに、だからこそその本心を隠して取り敢えず協調のために、八方美人となってしまうことが先方に、いや周囲に誤解を与えてしまうのだ。
 そこで心に期したことは、負けるのは美しく、ということであった。所詮、僕のスタイルを押し通そうとすれば、最後にはすべて喧嘩になり、暴発して限りがない。・・・なれば、どうせ負けるのなら、美しく負けよう。・・・すべては負け方にあり、負け方にこそ人間の心は現れる、としきりに思うことで、心が静まったのだ。」と。
 なんということか、もう、実に私もそうなのである。

 一昨日のハーセプチン再開の副作用で熱が出ることを心配したが、杞憂に終わる。やはり“案ずるより産むが易し”だ(まあ実際の”出産”は決してそうではなかったけれど・・・。)。
 一日元気に働くことが出来て心底ほっとする。やはりハーセプチンは体に優しい有難い薬だ。

 強い南風が吹いた昨日と打って変って今日は北風。夜に向かってどんどん気温が低くなった。気圧の所為か、朝から左鎖骨に嫌な痛みが出ている。5年前始めて胸部周辺にしつこい痛みを感じた時を思い出してしまう。
 温めてみて、ロキソニンを飲んでやり過ごせると良いのだけれど。
コメント (3)
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