昨日の終戦記念日も暑い一日だった。
世はお盆休みということで、職場は空席が目立った。メールも電話も少なく静かだ。電車通勤も今週は楽だと聞く。
さてそんな昨夕、帰宅すると、息子が口を尖がらせながら寄ってきた。「みんな、薄情だよな。」と。どうしたのかと次の句を待っていると「T君、土曜日に退院なんだけど、結局見舞いに行ったの、3人だって!」と。
そう、先月「痛恨の大腿骨骨折」という記事を書いた。その入院中だったクラスメートのT君が、ようやく退院することになったのだという。
クラスのLINEで本人が「土曜日に退院する」ということを知らせたとところ、「行けなくてごめん」というレスが付いたらしい。息子曰く「いきなりそう言われちゃったら、(えーっ、そうなのか・・・)と思ったってT君、黙っているしかないじゃん!」と。
「クラスに40人いて、僕を入れてたった3人だよ。明後日退院だって言っているんだから、“明日行くよ”という奴が1人位いたっていいと思わない? 沿線に住んでいる奴が沢山いるんだからさ!」と鼻息が荒い。
息子が、T君のお見舞いに出かけたのは先月末のこと。息子で3人目のお見舞いだと聞いた。誰かと待ち合わせて行くのかと思ったら、日程が合わなかったのか結局1人だった。電車を3つ乗り継ぎ、鉄研部長経験者よろしく、定期も駆使して遠回りを厭わず、一番リーズナブルに行ける経路で、帰路は有名なラーメン屋さんに並んで好きなラーメンまで食べて帰ってきたのだった。
しまり屋の息子が、自分と同じ野球好きなT君に野球の本をプレゼント包装にして持っていったと聞き、夫と「!」と顔を見合わせた。最初は雑誌にしようかと思ったが、雑誌だと捨てられちゃうよな、と思い直して奮発してハードカバーの本にしたらしい。
結局、息子のお見舞い以来、3週間の間、クラスの誰もお見舞いに行かずにT君は明日の退院を迎えるということだ。
「そうだよね・・・まあ、皆、受験生だけどね。でも君は行ってあげて良かったよね。T君、きっと忘れないと思うよ。」と応じた。
1カ月以上、痛い思い、動けない苛立ち、辛いリハビリをして1人病院のベッドで過ごしたT君。いろいろ考える時間があり過ぎたことだろう。
もしかしたらあいつが明日、見舞いに来てくれるかもしれないな、と思って眠りについた夜はどのくらいあっただろうか。その気持ちを想像すると、何とも切ない。
高校3年生、受験生の夏。想定外の大怪我をして、思春期の男子がトイレにすら行けず、ベッドに固定されたままおむつをされ、可愛い看護師さんから始末してもらうのが辛い、舌を噛みたい、と言っていたとも聞いた。焦る気持ち、やり切れない気持ちに眠れぬ夜も一晩や二晩ではなかっただろう。
高校は2週間後には後期が始まるが、松葉杖で登校してくるという。もし息子だったら、と思うだけで眼の前が曇ってくる。
元気印で入院等経験したことのないクラスメートが殆どなのだろう。
もちろん息子もその一人。けれど、彼はこの8年半、なんだかんだと私が7回も入退院を繰り返しているのを見ている。だから少しはT君の入院生活に思いを馳せることが出来たのかもしれない。ひと様の痛みが解る優しい子に育ってくれているのなら、不肖の母としてこんなに嬉しいことはない。
翻ってお見舞いについて思うこと。
お見舞いに行くタイミング、そして実際にお見舞いに行くかどうかは本当に難しい。先週金曜日に開腹手術をした患者仲間のSさんの経過が順調ということを伺い、明日お顔を見に行こうと思っていた。が、なんと明日、早くも退院なのだそうだ。入院は2週間位と聞いていたので、驚いた。しかも院内で手足口病に感染したことが判り、皮膚科にもかかっているという。せめて週明け迄入院していたかったようだが・・・最近、病院はつくづく長く置いてはくれないのだな、と思う。
誤解を恐れずに言えば、自分が弱っている姿を見られたくない人にはお見舞いには来てほしくないものだ。一番先に思い浮かぶのは職場関係者だろうか。もちろん仕事を持つ身で“No, Thank you.”も言っていられないこともあるけれど。
戦闘態勢の匂いを纏った元気な職場の人たちに逢うと、当然こちらは無理をしても合わせようとするから、とても疲れる。忙しい中わざわざ来てくださるのは有難いことだけれど、顔を見せてくれなくとも“気にかけてくれている、案じてくれている”ということが判るだけで十分嬉しいものだ。
実際、入院生活が長くなり、それなりに元気になってくれば退屈であるには違いない。けれど、かつてに比べて入院期間は格段に短くなってきている。退院といってもまだ体調バッチリで家に戻れるわけではない。あくまで急性期を乗り越えたというだけで、問題なく日常生活を送れるようになるまで家での養生が必須なのだ。
だからこそ短期の入院中に限らず、お見舞いはよくよく考えてから、相手の気持ちを考えてから・・・と思っている。
世はお盆休みということで、職場は空席が目立った。メールも電話も少なく静かだ。電車通勤も今週は楽だと聞く。
さてそんな昨夕、帰宅すると、息子が口を尖がらせながら寄ってきた。「みんな、薄情だよな。」と。どうしたのかと次の句を待っていると「T君、土曜日に退院なんだけど、結局見舞いに行ったの、3人だって!」と。
そう、先月「痛恨の大腿骨骨折」という記事を書いた。その入院中だったクラスメートのT君が、ようやく退院することになったのだという。
クラスのLINEで本人が「土曜日に退院する」ということを知らせたとところ、「行けなくてごめん」というレスが付いたらしい。息子曰く「いきなりそう言われちゃったら、(えーっ、そうなのか・・・)と思ったってT君、黙っているしかないじゃん!」と。
「クラスに40人いて、僕を入れてたった3人だよ。明後日退院だって言っているんだから、“明日行くよ”という奴が1人位いたっていいと思わない? 沿線に住んでいる奴が沢山いるんだからさ!」と鼻息が荒い。
息子が、T君のお見舞いに出かけたのは先月末のこと。息子で3人目のお見舞いだと聞いた。誰かと待ち合わせて行くのかと思ったら、日程が合わなかったのか結局1人だった。電車を3つ乗り継ぎ、鉄研部長経験者よろしく、定期も駆使して遠回りを厭わず、一番リーズナブルに行ける経路で、帰路は有名なラーメン屋さんに並んで好きなラーメンまで食べて帰ってきたのだった。
しまり屋の息子が、自分と同じ野球好きなT君に野球の本をプレゼント包装にして持っていったと聞き、夫と「!」と顔を見合わせた。最初は雑誌にしようかと思ったが、雑誌だと捨てられちゃうよな、と思い直して奮発してハードカバーの本にしたらしい。
結局、息子のお見舞い以来、3週間の間、クラスの誰もお見舞いに行かずにT君は明日の退院を迎えるということだ。
「そうだよね・・・まあ、皆、受験生だけどね。でも君は行ってあげて良かったよね。T君、きっと忘れないと思うよ。」と応じた。
1カ月以上、痛い思い、動けない苛立ち、辛いリハビリをして1人病院のベッドで過ごしたT君。いろいろ考える時間があり過ぎたことだろう。
もしかしたらあいつが明日、見舞いに来てくれるかもしれないな、と思って眠りについた夜はどのくらいあっただろうか。その気持ちを想像すると、何とも切ない。
高校3年生、受験生の夏。想定外の大怪我をして、思春期の男子がトイレにすら行けず、ベッドに固定されたままおむつをされ、可愛い看護師さんから始末してもらうのが辛い、舌を噛みたい、と言っていたとも聞いた。焦る気持ち、やり切れない気持ちに眠れぬ夜も一晩や二晩ではなかっただろう。
高校は2週間後には後期が始まるが、松葉杖で登校してくるという。もし息子だったら、と思うだけで眼の前が曇ってくる。
元気印で入院等経験したことのないクラスメートが殆どなのだろう。
もちろん息子もその一人。けれど、彼はこの8年半、なんだかんだと私が7回も入退院を繰り返しているのを見ている。だから少しはT君の入院生活に思いを馳せることが出来たのかもしれない。ひと様の痛みが解る優しい子に育ってくれているのなら、不肖の母としてこんなに嬉しいことはない。
翻ってお見舞いについて思うこと。
お見舞いに行くタイミング、そして実際にお見舞いに行くかどうかは本当に難しい。先週金曜日に開腹手術をした患者仲間のSさんの経過が順調ということを伺い、明日お顔を見に行こうと思っていた。が、なんと明日、早くも退院なのだそうだ。入院は2週間位と聞いていたので、驚いた。しかも院内で手足口病に感染したことが判り、皮膚科にもかかっているという。せめて週明け迄入院していたかったようだが・・・最近、病院はつくづく長く置いてはくれないのだな、と思う。
誤解を恐れずに言えば、自分が弱っている姿を見られたくない人にはお見舞いには来てほしくないものだ。一番先に思い浮かぶのは職場関係者だろうか。もちろん仕事を持つ身で“No, Thank you.”も言っていられないこともあるけれど。
戦闘態勢の匂いを纏った元気な職場の人たちに逢うと、当然こちらは無理をしても合わせようとするから、とても疲れる。忙しい中わざわざ来てくださるのは有難いことだけれど、顔を見せてくれなくとも“気にかけてくれている、案じてくれている”ということが判るだけで十分嬉しいものだ。
実際、入院生活が長くなり、それなりに元気になってくれば退屈であるには違いない。けれど、かつてに比べて入院期間は格段に短くなってきている。退院といってもまだ体調バッチリで家に戻れるわけではない。あくまで急性期を乗り越えたというだけで、問題なく日常生活を送れるようになるまで家での養生が必須なのだ。
だからこそ短期の入院中に限らず、お見舞いはよくよく考えてから、相手の気持ちを考えてから・・・と思っている。