ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.8.20 再発治療を続けていく上でキツいこと

2013-08-20 21:36:04 | 日記
 再発・転移が判明し、フルコースの治療を開始してから6回目の夏を迎えた。丸5年7か月が過ぎようとしている。再発判明当時小学校6年生で中学受験生だった息子は、高校3年生。再び受験生になった。
 その間、山あり谷あり、急な下り坂も、緩やかな上り坂もあった。思えば遠くへ来たもんだ・・・ではないが、過ぎてみればあっという間、とはいえ、泣いて笑って、まあそれなりに色々あったと思う。

 けれど、今は治療日にピンポイントで病欠を取って仕事を休む以外は、外見からは病人とは判らないほど(かつらは装着しているが)ごくごく普通に日々出勤してフルタイムの仕事を続け、手抜きとはいえ家事もこなすことが出来ている。有難いことに日常生活が損なわれていることは、ない。
 それだけでなく、これまで以上に家族や友人に囲まれ、アクティブに愉しい毎日を過ごすことが出来ている。オフには趣味の読書も細々と続け、映画も観たいものは観に行くことが出来ている。受験生を抱えているから今年はなかなか大きな旅行は出来ないとはいえ、一昨年夏には5年ぶりの海外旅行をし、今夏も2泊3日の家族旅行に出かけることが出来た。最近ではヨガにすっかりハマって、酷い夏バテもせずに元気に過ごしている。

 エンドレスの再発治療を続けて行く上で何が一番キツいのだろう、と考えると、こうして普通の生活を続けつつも、いつこの生活が断ち切られる日が来るのだろうという言い知れぬ不安が、何かの折にふとやってくること、つまりは頭の隅にそうした不安が払拭出来ずにあり続けていること、だろうか。
 いつかそう遠くない日に今の治療が効かなくなって、次はあの薬を使うのだろうか、副作用はどれほどのものだろうか、仕事は、趣味は、今まで通り続けられるだろうか、旅行には行くことが出来なくなるのだろうか、などなど。
 まだ使っていない良い薬が出来たとして、自分の骨髄はそれに耐えることが出来るのだろうか、という不安。
 もっと言えば、治療を続けているにもかかわらず病変が増悪し、さらには新たな臓器への転移が見つかるかもしれない、それがいよいよ命取りになるかもしれないという不安。

 もちろんこんな不安を並べていても、それはただの不安であって、現実ではない。初発の方が再発に怯える不安と、実際に再発することは全く違うということと同じ話だ。再発したら終わりでないのと同様、どんなに病状が進行しようと、その現実を受け容れ、出来る時に出来る治療を続けるしかない。そうしないことには道は開けない。

 こんなことをツラツラと書くのは、まだ余裕があるといえばそうなのだろう。宙ぶらりんとはいえ贅沢な話だ。
 趣味も仕事も・・・そんなことより何より、命を繋ぐためには治療法を選んでなどいられない日が間違いなくやってくる。けれど、そのことに対して徒に怯え過ぎる必要はない。その日がいつかやってきてもいいように、だからこそ今やっておきたいことを躊躇うことなく大切に行い、少しでも明るく楽しく笑顔を忘れずに日々を過ごすのだ・・・と頭では分かっている。

 治療そのものの身体的なキツさと、常にこうした不安に苛まれる精神的なキツさ。それを上手く取り除きながら、再び前を向く精神的な強さが絶対に必要だ。もちろんある程度鈍感にならずにはやっていられないけれど、なかなか簡単にはなり切れない。
 何分、生来、嫌なことは先送りが出来ない性格だ。出来る準備は出来る時に出来るだけやっておきたい。やってくるボールをベストポジションでキャッチしたい。そう思うけれどもそうもいかないのが一番のストレスか。

 結局のところ、なるようにしかならない。この後どんなエンディングが待っているか、悠久の宇宙の中では塵の一つにもならない私の行方など、神様はもうとっくにお決めになっているのだろう。
 されば、やはり不安は不安として置いておいて、少しでも今の穏やかな時間が長く続くように祈りつつ、笑顔と感謝を忘れずに暮らすこと-それが一番なのだろう。

 そして、明日はまた通院日である。
コメント (2)
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