ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.6.4 「全」という字から想うこと

2018-06-04 20:59:30 | 日記
 先日、リリーさんから頂いたコメントに「全きもの」という言葉があった。
 とても心に響く言葉だ。
 最新号ではないけれど、毎日新聞連載のコラムにもそれに繋がるものを見つけた。全うするということの持つチカラを強く感じたので、下記に転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

新・心のサプリ
「まっとうする」ということ=海原純子(毎日新聞 2018年5月27日 04時01分)

 引っ越しをしてから買い物の仕方が変わった。歩いて数分の場所に大型のスーパーマーケットがあり、夜11時まで開店している。築地が近いので新鮮な魚が毎日入荷し、静岡が拠点のスーパーなので地元の魚や野菜も安く入手できる。買いおきしなくても、ちょっとひとっ走りすればいいので余分な食材を買わなくなった。冷蔵庫の中で眠ったままになる食材がほとんどない状態である。
 そんなことはあたり前だ、と思う方もいるだろう。ただ、車を使わないと行かれない距離にしかスーパーがないと、突発的に仕事が遅くなって予定の買い物ができない場合に食事が作れなくなる。どうしても、少し余分に買うことになり、それが余ってしまう傾向があった。引っ越ししてからそれがなくなった。
 その時、心にうかんだ言葉がある。それは「まっとうする」というものだ。
 「まっとうする」。なんて心地よいことなんだろう。自分が選んで自分のところに来てくれた食材を「まっとう」したという思いが、なんともいえない満ち足りた思いにさせてくれる。もしかすると、「まっとうした」という思いには、後悔やその他のネガティブな感情が入りこむすき間がないのではないか、と気づいた。
 というのは、先日16歳で亡くなった猫の話を書いたが、その猫の最後の1週間の行動や、私とのかかわりは、猫にとっても、私にとっても、「まっとうした」という思いしかなく、それ以上はできないというものだった。結果的に猫は亡くなったが、不思議な穏やかさと満ち足りた思いだけが私に残され、猫がいないことがさみしい、という思いはあるが、悲しくはない。
 死は、もしそこに「まっとうした生」があるなら、不在のさみしさはあっても、不幸せにはならない。だから時々、「死は不幸」としかとらえていない方が猫の死を知り、「ご愁傷さまです」などと連絡してくると、ちょっと当惑してしまう。
 よく「志なかばで亡くなり残念だろう」などという言葉をきくが、志を「成し遂げる結果」という物質的な視点から少し方向をかえたらどうだろう。「志」は自分が選び自分の人生で成し遂げる目標や結果だと思う。しかし、その目標のために、今日1日分のひとときをまっとうする、ということが、人生をまっとうすることでいいのではないだろうか。
 黒人の公民権運動の指導者で銃で撃たれて亡くなったキング牧師は、亡くなる前日の演説で「短命で終わることも厭(いと)わない」と語っている。キング牧師は、「生をまっとうした」方だと思う。
 目指す目標にむかって今ひとときを十分にたのしみ、あるいは集中し、大切に過ごすと、死は決して悲しいものではなくなるだろう。そして、多くの人が、生をまっとうできるように傷つけ合うような無用な争いや戦いをなくすことに心をむけたいと思う。(心療内科医)

(転載終了)※   ※   ※

 4年前、一人息子を関西の大学に送り出した時のことを鮮明に思い出した。
 そういえば朝の連続テレビ小説では主人公達が親元を離れ、お母さんたちが空の巣症候群になったような場面があったのだけれど、不思議なことに私は全くそういう事態に陥らなかった。

 何故だろう、と思うに、全うしたからだ、と気付いたのだ。
 もちろんそれは他の方から見れば、全うしたというにはおこがましいレベルであったかもしれない。けれど、あの時の私としては、出来る限りのことをやり切った。というより、あれ以上はもうどう頑張っても出来なかった。

 急な引越しに伴う住まいの確保、最低限の家財道具の準備、細々としたあれやこれや。ちょうど入試の時期に治療薬がタイケルブとゼローダに変わり、初回既定量の副作用が酷くて継続を断念し(これはもう私のパターンになりつつある。)、タイケルブ単剤にして減量調整をしている時だった。それでも副作用がなかなか収まらず、爪囲炎も今回より酷く、それまでに履いていた靴も履けず、歩くのがやっとの時期でもあった。

 何度も書いているけれど、息子の中学受験真っ只中に再発した時、高校の卒業式を見ることも叶わないかもしれない、そう覚悟した。けれど、それを見ることが叶い、そして大学の入学式にも夫婦揃って参列出来た。
 入学式を終えて、夫と二人、満開の桜の花で溢れた古都の街を後にしたとき、疲労の局地でバーンアウトした割には不思議なほどの清清しさに包まれていたことを今も身体が覚えている。

 そうなのだ。全うすると、後悔は残らない。あの時、もう少しこうしてあげていたら、こうもできたのではないか、という気持ちが一切湧いてこなかった。やれることは全てやり切った。あれ以上は求められても、もうどうしようもなかった。だから、きっとあれでよかったのだ、と。
 だからこそ精神的な意味で上手く親離れ、子離れが出来たのでは、と思っている。

 私自身が一人娘だったので、親離れ子離れにはかなり苦労したクチである。息子には残念ながら兄弟姉妹を作ってあげることが出来なかった。けれど、自分が苦労したように一人っ子特有の親離れ子離れの難しさだけは味あわせたくは、絶対になかった。だから名前をつけるときもそんなことを意識してつけた。

 とはいえ、一人っ子で都内在住となると大学進学のタイミングでもなかなかそのきっかけが難しい。そのまま東京で就職となれば(就職が決まらなければパラサイトという事態だって充分ありえたわけだ。)、成人後もいつまでも同居ということになっていただろう。
 奇しくも18になってすぐ関西に行く、ということになったのは、神様の素晴らしい采配であったのだと今は思える。

 4年間(予想どおりプラスアルファを今、過ごしているわけだが)を高校時代までの彼を全く知らない人たちの中で伸び伸びと過ごし、結果、就職も転勤のない関西の企業を選び、関西で骨を埋めることを決めた息子。彼も彼の人生を全うして欲しい、と心から応援したいと思う。

 翻って私もこれからの日々、一日一日を全うしていけば、きっと無念な最期の日を迎えることはないのだ、と心を強くするのである。

コメント
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