今日は夏至。お天気はどんより曇り空なので、さあ夏だ、などという雰囲気はないけれど、あっという間に今年も折り返し地点になりそうだ。早い。
昨日は5日ぶりの出勤。一昨日の夜は久しぶりに自分のベッドで、夜中に足の痛みやお手洗いで起きることなく良く眠ることが出来た。
帰宅してからも、最低限の片付けをするまでは気が張っていたのだろう。疲れたね~と言いながらも動き回り、頑張れた。
月曜日は休暇を出していたが、期せずして火曜日までの連続休暇になってしまったわけだ。覚悟はしていたが、机上には土曜日開催予定の大学院説明会の資料がどーんと届き、その始末や週末の準備、溜まったメールの処理などに明け暮れた。
仕事をしている間も、疲れているのだからなるべく無理をしないように、とブレーキをかけようと思いつつも、力仕事も含めて、大車輪で処理をした(というか、するしかなかった。)。
けれど、足の指先は相変わらず痛いし、手も手袋なしでは作業が出来ない。右足を庇って歩いているので、左の腰が常時痛むようになった。雨は降っているし、気圧の変動で頭も重いし、胸痛もある。
今月は殆ど地元のヨガスタジオにも行けていないし、Sさんが産休に入られる前の最後のクラスを予約していたけれど、それもキャンセルすることになった。
スーパーで補充する食材の買い物を済ませて、顎を出しつつ帰宅する。
部屋には万国旗のように洗濯物が干してあるし、まずはそれを畳んで収めなければ干すスペースがなく、洗濯機に入れたままの息子から預かった洗濯物も洗えない。というわけで、夕飯はご飯だけ炊き、朝作っておいたサラダに、メインはボイルだけで食べられる冷凍の惣菜でお茶を濁すことに。
洗濯機を廻しつつひたすら洗濯物を畳むが、だるくて足が痛くてため息連発。そうこうしているうちに夫が帰宅した。
私が洗濯物を畳んでいる間に洗濯物は洗い上がり、干すのはお任せする。さらに夕食も整えてくれた。具合が悪いときはお互い様だ、と言ってくれるけれど、はあ、情けないことよ。ここまで疲れているとは思わなかった。あとからボディーブローのように効いてきた感じ。
昨夜もとても起きていられず、早々に入浴して就寝。またまた珍しくも、明け方目が覚めたもののお手洗いに起きず、朝目覚ましが鳴る少し前に目覚めた。たっぷり寝足りた感じで少し元気になったか。とにかく疲れたら休む、これしかないわけである。
その後の息子の状況を少し。相変わらずガスは止まっており、お風呂には入れない模様。大阪市内の銭湯が無料開放してくれているという。バスで往復すると小一時間かかるようだけれど、サッパリ出来るなら気分転換に行ってくれば、と連絡した。大学にも行けないし、狭い寮の部屋で終日過ごすのは大儀だろう。余震は震度3ほどで収まっているらしい。どうかこのまま収束してくれますように。
まだ就活を続けている学生さんたちも少なくないと聞く。本当に気がかりだ。一日も早くこれまでの活動が出来る状況になりますように。
夏に至りて、改めて思うこと。
夏の明るい日差しの中で、大人の責務として若い人たちが未来への希望を持って暮らせる世の中を提供してあげられれば、と思う。
けれど、こうした天災が起こる度に、何より私自身も災害弱者だとも思う。走り回る体力はないし、常にあちこちが痛む。病院に通うことが出来ない事態になって治療が継続出来なくなったらイチコロだ。こんな状態で私に課せられた責務をどれだけ果たせているのだろうか、と考えこむ毎日だ。
天災はいつやってくるかわからない。備えあれば憂いなし、とは言ってみても備え切れない場合は多々ある。大自然を前にやはり人間は無力だ。高齢者、障害のある方たち、小さな子ども達、今回被災された弱者の方たちが一日も早く日常を取り戻せますように、と願いたい。
全ての人たちが少しでも心穏やかに幸せに暮らせますように。夏至であると同時に世界ヨガ・デーでもあるこの日に思う。
記録のために。昨日届いた今月2回目のお花は深紅、オフホワイト、濃いピンクと淡いピンク、淡いオレンジの5色の薔薇が1本ずつ、白く可憐な花をつけるソケイ、ドライフラワーにぴったりなラベンダー色のモンタナがそれぞれ2本。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「可憐」、「しとやか」だそう。疲れたなあと思いつつガラスの花瓶に投げ入れながらも、初夏の日の日常の有難さに改めて感謝。
昨日は5日ぶりの出勤。一昨日の夜は久しぶりに自分のベッドで、夜中に足の痛みやお手洗いで起きることなく良く眠ることが出来た。
帰宅してからも、最低限の片付けをするまでは気が張っていたのだろう。疲れたね~と言いながらも動き回り、頑張れた。
月曜日は休暇を出していたが、期せずして火曜日までの連続休暇になってしまったわけだ。覚悟はしていたが、机上には土曜日開催予定の大学院説明会の資料がどーんと届き、その始末や週末の準備、溜まったメールの処理などに明け暮れた。
仕事をしている間も、疲れているのだからなるべく無理をしないように、とブレーキをかけようと思いつつも、力仕事も含めて、大車輪で処理をした(というか、するしかなかった。)。
けれど、足の指先は相変わらず痛いし、手も手袋なしでは作業が出来ない。右足を庇って歩いているので、左の腰が常時痛むようになった。雨は降っているし、気圧の変動で頭も重いし、胸痛もある。
今月は殆ど地元のヨガスタジオにも行けていないし、Sさんが産休に入られる前の最後のクラスを予約していたけれど、それもキャンセルすることになった。
スーパーで補充する食材の買い物を済ませて、顎を出しつつ帰宅する。
部屋には万国旗のように洗濯物が干してあるし、まずはそれを畳んで収めなければ干すスペースがなく、洗濯機に入れたままの息子から預かった洗濯物も洗えない。というわけで、夕飯はご飯だけ炊き、朝作っておいたサラダに、メインはボイルだけで食べられる冷凍の惣菜でお茶を濁すことに。
洗濯機を廻しつつひたすら洗濯物を畳むが、だるくて足が痛くてため息連発。そうこうしているうちに夫が帰宅した。
私が洗濯物を畳んでいる間に洗濯物は洗い上がり、干すのはお任せする。さらに夕食も整えてくれた。具合が悪いときはお互い様だ、と言ってくれるけれど、はあ、情けないことよ。ここまで疲れているとは思わなかった。あとからボディーブローのように効いてきた感じ。
昨夜もとても起きていられず、早々に入浴して就寝。またまた珍しくも、明け方目が覚めたもののお手洗いに起きず、朝目覚ましが鳴る少し前に目覚めた。たっぷり寝足りた感じで少し元気になったか。とにかく疲れたら休む、これしかないわけである。
その後の息子の状況を少し。相変わらずガスは止まっており、お風呂には入れない模様。大阪市内の銭湯が無料開放してくれているという。バスで往復すると小一時間かかるようだけれど、サッパリ出来るなら気分転換に行ってくれば、と連絡した。大学にも行けないし、狭い寮の部屋で終日過ごすのは大儀だろう。余震は震度3ほどで収まっているらしい。どうかこのまま収束してくれますように。
まだ就活を続けている学生さんたちも少なくないと聞く。本当に気がかりだ。一日も早くこれまでの活動が出来る状況になりますように。
夏に至りて、改めて思うこと。
夏の明るい日差しの中で、大人の責務として若い人たちが未来への希望を持って暮らせる世の中を提供してあげられれば、と思う。
けれど、こうした天災が起こる度に、何より私自身も災害弱者だとも思う。走り回る体力はないし、常にあちこちが痛む。病院に通うことが出来ない事態になって治療が継続出来なくなったらイチコロだ。こんな状態で私に課せられた責務をどれだけ果たせているのだろうか、と考えこむ毎日だ。
天災はいつやってくるかわからない。備えあれば憂いなし、とは言ってみても備え切れない場合は多々ある。大自然を前にやはり人間は無力だ。高齢者、障害のある方たち、小さな子ども達、今回被災された弱者の方たちが一日も早く日常を取り戻せますように、と願いたい。
全ての人たちが少しでも心穏やかに幸せに暮らせますように。夏至であると同時に世界ヨガ・デーでもあるこの日に思う。
記録のために。昨日届いた今月2回目のお花は深紅、オフホワイト、濃いピンクと淡いピンク、淡いオレンジの5色の薔薇が1本ずつ、白く可憐な花をつけるソケイ、ドライフラワーにぴったりなラベンダー色のモンタナがそれぞれ2本。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「可憐」、「しとやか」だそう。疲れたなあと思いつつガラスの花瓶に投げ入れながらも、初夏の日の日常の有難さに改めて感謝。