昨夜はブログを書いてから入浴したり片付けをしたりで、ベッドに入れたのは日付が変わってから。スパイシーでボリューミーな夕食だったのでお腹の調子が心配だったけれど、5時間連続で眠ることが出来た。今日は、夕方には新幹線で帰宅する予定である。
お天気が崩れてくるという予報で、昨朝ほど日差しが眩しいわけではなかったが、目覚ましをかけた時間より結局2時間ほど早く目覚めた。二度寝は出来ず、うだうだしてベッドでニュースを見て、朝ヨガと瞑想をし、さて、夫を起こして朝食に行こう・・・と思ったところで突き上げるような揺れがきた。
えっ?何?地震!?と思っているうちにいきなり物凄い揺れが襲う。揺れている最中にようやく緊急地震速報のアラートが鳴る。シングルルームで狭いし、テーブルの下に隠れる暇もなく、中腰になって揺れが収まるのを待つ。長い時間の揺れではなかったけれど、とにかく大きかった。
築年数が経っているホテルの5階にいたので余計揺れが酷かったのかもしれない。隣の部屋にいる夫に内線電話をして安否確認の後、寮にいる息子に携帯をかけるが、なかなか繋がらない。ようやく繋がると「物は落ちたがガラス類が割れたこともなく無事」とのこと。ほっとした。
彼の寮は新築3年目だし、2階の居室なのでこちらよりは安全だろう。チェックアウトの時間にホテルに来る約束をしていたが、ひとまず朝食を終えたらこちらに来るように申し合わせる。電話をしているうちにも弱い余震があった。部屋には殆ど何もなかったけれど、サイドテーブルに置いていたスマホが落ち、浴室のシャンプーやコップが倒れ、クローゼットの消臭剤が床に散乱していた。
ほどなくしてテレビニュースで地震を知った実家の母から電話が入り、とりあえず全員無事を伝える。
7時58分、大阪北部が震源地、マグニチュード5.9(のち6.1に訂正)の地震だという。滞在している市では震度6弱。1923年に観測開始以来、大阪でこれほど大きな地震があったのは初めてとのこと。もちろん私も東日本大震災時の震度5がこれまで経験した最大規模の地震だったので、これほどの揺れは初めての体験。
ニュースで情報を得てから30分ほどしてエレベーターホールに行くと、鉢物が落下して散らばっている。1階のレストランに移動しようとするも、当然のことながらエレベーターは止まっており、非常階段で降りる。レストランに入ると、和食ならお出し出来ますとのこと。
ちょうど食事中に揺れに遭遇した方がお椀などが倒れたまま席を立った様子がありあり。誰もいない。地震後僅か40分ほどで、グラスやお酒の瓶が割れているのを片付ける時間もなかったようだ。ほどなくして食事が提供され、2人だけでレストラン貸し切りの朝食を頂く。とにかく空腹では動けない、としっかり完食する。
食事を終えて再び5階まで息を整えながら階段で上がる。ああ、高層のホテルでなくてよかった、と思う(この体調で数十階の階段を上り下りするのはとても無理だ。)。
部屋に戻ってテレビを見ると、どんどん被害の状況が明らかになっている。道路が冠水していたり、生き埋めになっている方がいるとか、壁の下敷きになって小学生の女の子が心肺停止だ等、痛ましい情報が流れてくる。
息子がホテルに向かっているというのでチェックアウトのため1階へ降りる。
ロビーで無事を確認しあい、30分ほど過ごしたが、交通機関が全てストップしている状態では、今日の予定を済ますのは到底無理に思える。このままここにいても仕方ない、ショッピングモールにでも行ってみるかと夫が言うので、荷物を預けてホテルを後にした。
ホテルの前の通りでは、普通に歩いていたり自転車に乗っている人がいたりで、能天気に「映画でも観て時間を潰すか」などと言っていた夫だったが、途中のファミリーレストランも閉まっているし、これは・・・、と段々雲行きが怪しくなってくる。ショッピングモールに到着すると、放置されていた自転車やバイクが軒並み倒れている。
「ちょうど1階の食品売り場だけただ今オープンしました、専門店街は全てクローズです。」とのこと。店内に入ると、出勤できる店員さんたちだけで大急ぎで散乱した食品を立て直した感じがリアルに伝わってくる。それでもリカーコーナーではお酒の匂いが立ち込め、割れたワイン等のガラスの破片が散乱している。どんどんお客さんが増えてきて、皆お水を箱買いしたりやパン、お弁当等カゴに詰められるだけ詰めている。なんとなく悲しくなってくる。
食料品売り場に隣接したベーカリーがオープンしていて、イートインスペースが解放されていたので、ひとまず珈琲を買ってソファに腰を下ろし、友人知人にLINEで無事をお知らせする。2人が小腹が空いてきたというのでスーパーでパン等を買いに戻ると、もの凄い長蛇の列。最後尾は一体どこ、といった状況だ。レジは数か所しか開いていない。店員さんたちも出勤できないのだろう。
結局30分ほど待って、ようやく最低限のパンと飲み物を購入したが、ぐったり。お昼のお弁当を買いに出てきた近所のお勤めの人たちも困り果てている。それでも2時間ほど過ごしただろうか。相変わらずJRも私鉄も全て運転見合わせ中。お友達との久しぶりの再会もキャンセルになり、ひとまず今日指定をとっている新幹線の乗車変更に駅まで行ってみることに。途中ニュース等でも流れていた、線路上には止まっている電車の姿が。さすがに既に誰も乗客は乗っていなかったが、ああ、皆さん線路を歩かれたのだなと思う。
駅へ行く途中で、チェックアウトしたホテルともう一つのホテルに寄り、「今晩素泊まりでいいので泊まれますか。」と頼んでみるが、「あいにく予約が取れない状況です。」とお断りされる。もしや、と息子の寮のゲストルームに「予約が入っていなければ泊まらせて頂けないか」と息子に連絡してもらう。嗚呼、天の助け、幸い空いているし寝具も2セット用意して頂けるとのこと。タクシーやバスでの大阪脱出も考えたが、長蛇の列だし大渋滞は目に見えている。今日無理に帰るのは得策ではないのでは、という結論に達し、明日も休暇を頂くことになりそうです、と職場の上司に事情説明のメールをする。
駅では駅員さんたちが大勢改札の前に立ち、お客さん対応に追われている。「運転見合わせ、復旧の見込みなし」のホワイトボードが出ており、界隈の全線が止まっていることを示す電光掲示板が赤く点滅している。電車に乗ることが出来ず、どこにも行けず、コンコースや階段にそのまま座っている人たちも沢山。明日もどうなるかわからない。乗車変更は、状況が状況なので、明日でOKと言われる。
もう一つの私鉄の駅まで歩いてみようと歩き出す。被害の状況を目の当たりにするにつけ、だんだん気持ちが滅入ってくる。瓦が落ちたり、道路のブロックが盛り上がって崩れたり、塀のタイルがバラバラに割れて落下してコーンが置いてあるクリーニング店もあった。
それでも空は青い。何もなかったように太陽が照らしている。予報よりずっとお天気が良く、気温が高い。
どうやらJRの駅近辺よりも、私鉄の駅付近の方が被害が大きい模様だ。駅の天井からは水漏れもしていた。
駅前飲食店にはどこも「臨時休業」の張り紙が出て、シャッター商店街と化している。そして、市役所関連施設では「臨時避難所・休憩所として開放中」の看板。
自分たちも地震に遭遇しつつ、人々の安全を守る鉄道関係者、公務の方たちには本当に頭が下がる。来春から鉄道会社に就職予定の息子もその思いを強くしたようだった。
暑さと湿気と被害の状況を見ることで精神的に疲れてくる。大きな硝子が割れてしまったビデオショップの惨状を見ながら、思うこと感じることは後から後から湧いてくる。
なのに、お腹が空いてくる哀しさよ。ファーストフードのお店が開いていることを確認して、軽食を摂る。食後お手洗いを借りようと思うと、使用禁止になっている。やむなく大きなスーパーに行くと、こちらも1階の食料品と2階の薬売り場のみのオープン。お手洗いはお借りすることが出来て、そろそろ荷物をピックアップして寮に戻って靴を脱ぎたくなる。
再びJRの駅を目指し、夫はホテルへ荷物のピックアップに、息子と私は一昨日出したクリーニングを取りに行ってみたが、予想通り臨時休業だった。
寮ではガスが止まっており、今晩の夕食の提供はできないかもしれないとのこと。コンビニで夕食を調達しようと思うが、1軒目はラックはほぼ空の状態。2軒梯子してようやくなんとか食べられそうなものを見繕う。隣の市では水が濁っているとのことで、水を買おうとするが2リットルは全て完売。やっと500mlのものを自動販売機で息子が買ってきてくれる。
這う這うの体で寮に到着。おかげさまで畳の部屋で足を伸ばすことが出来、寝具も洗面用具も全て2セットずつ準備してくださった。下着等の着替えが尽きていたが、ランドリールームで洗濯も無事済ませることが出来た。
内服薬も余分を持ってきているし、ゼローダは今晩で内服終了なのもタイミングが良かった。
夫は相当草臥れたと見えて、既に鼾をかいてお夕寝中。息子も一緒にひっくり返ってリラックス中。期せずして家族3人で濃密な3日間を過ごすことになってしまった。何より家族全員が無事であったことに感謝したい。
もし私たちが東京にいてテレビの情報だけだったら、息子の安否が心配でいてもたってもいられなかっただろうから、こうして一緒に過ごせたのは不幸中の幸いだったかもしれない。
それにしても、昨日までの状況がこの地震で一変した。穏やかな一日は決して当たり前ではなく奇跡の積み重ねであることを痛感する。
ガスの復旧には最長10日ほどかかるという。この季節、汗っかきの息子がお風呂に入れないのは辛そうだ。大学も施設の安全確認が出来ないため、今週末まで入構禁止だとのこと。
なんとか無事に乗り切ってほしいと思う。
お天気が崩れてくるという予報で、昨朝ほど日差しが眩しいわけではなかったが、目覚ましをかけた時間より結局2時間ほど早く目覚めた。二度寝は出来ず、うだうだしてベッドでニュースを見て、朝ヨガと瞑想をし、さて、夫を起こして朝食に行こう・・・と思ったところで突き上げるような揺れがきた。
えっ?何?地震!?と思っているうちにいきなり物凄い揺れが襲う。揺れている最中にようやく緊急地震速報のアラートが鳴る。シングルルームで狭いし、テーブルの下に隠れる暇もなく、中腰になって揺れが収まるのを待つ。長い時間の揺れではなかったけれど、とにかく大きかった。
築年数が経っているホテルの5階にいたので余計揺れが酷かったのかもしれない。隣の部屋にいる夫に内線電話をして安否確認の後、寮にいる息子に携帯をかけるが、なかなか繋がらない。ようやく繋がると「物は落ちたがガラス類が割れたこともなく無事」とのこと。ほっとした。
彼の寮は新築3年目だし、2階の居室なのでこちらよりは安全だろう。チェックアウトの時間にホテルに来る約束をしていたが、ひとまず朝食を終えたらこちらに来るように申し合わせる。電話をしているうちにも弱い余震があった。部屋には殆ど何もなかったけれど、サイドテーブルに置いていたスマホが落ち、浴室のシャンプーやコップが倒れ、クローゼットの消臭剤が床に散乱していた。
ほどなくしてテレビニュースで地震を知った実家の母から電話が入り、とりあえず全員無事を伝える。
7時58分、大阪北部が震源地、マグニチュード5.9(のち6.1に訂正)の地震だという。滞在している市では震度6弱。1923年に観測開始以来、大阪でこれほど大きな地震があったのは初めてとのこと。もちろん私も東日本大震災時の震度5がこれまで経験した最大規模の地震だったので、これほどの揺れは初めての体験。
ニュースで情報を得てから30分ほどしてエレベーターホールに行くと、鉢物が落下して散らばっている。1階のレストランに移動しようとするも、当然のことながらエレベーターは止まっており、非常階段で降りる。レストランに入ると、和食ならお出し出来ますとのこと。
ちょうど食事中に揺れに遭遇した方がお椀などが倒れたまま席を立った様子がありあり。誰もいない。地震後僅か40分ほどで、グラスやお酒の瓶が割れているのを片付ける時間もなかったようだ。ほどなくして食事が提供され、2人だけでレストラン貸し切りの朝食を頂く。とにかく空腹では動けない、としっかり完食する。
食事を終えて再び5階まで息を整えながら階段で上がる。ああ、高層のホテルでなくてよかった、と思う(この体調で数十階の階段を上り下りするのはとても無理だ。)。
部屋に戻ってテレビを見ると、どんどん被害の状況が明らかになっている。道路が冠水していたり、生き埋めになっている方がいるとか、壁の下敷きになって小学生の女の子が心肺停止だ等、痛ましい情報が流れてくる。
息子がホテルに向かっているというのでチェックアウトのため1階へ降りる。
ロビーで無事を確認しあい、30分ほど過ごしたが、交通機関が全てストップしている状態では、今日の予定を済ますのは到底無理に思える。このままここにいても仕方ない、ショッピングモールにでも行ってみるかと夫が言うので、荷物を預けてホテルを後にした。
ホテルの前の通りでは、普通に歩いていたり自転車に乗っている人がいたりで、能天気に「映画でも観て時間を潰すか」などと言っていた夫だったが、途中のファミリーレストランも閉まっているし、これは・・・、と段々雲行きが怪しくなってくる。ショッピングモールに到着すると、放置されていた自転車やバイクが軒並み倒れている。
「ちょうど1階の食品売り場だけただ今オープンしました、専門店街は全てクローズです。」とのこと。店内に入ると、出勤できる店員さんたちだけで大急ぎで散乱した食品を立て直した感じがリアルに伝わってくる。それでもリカーコーナーではお酒の匂いが立ち込め、割れたワイン等のガラスの破片が散乱している。どんどんお客さんが増えてきて、皆お水を箱買いしたりやパン、お弁当等カゴに詰められるだけ詰めている。なんとなく悲しくなってくる。
食料品売り場に隣接したベーカリーがオープンしていて、イートインスペースが解放されていたので、ひとまず珈琲を買ってソファに腰を下ろし、友人知人にLINEで無事をお知らせする。2人が小腹が空いてきたというのでスーパーでパン等を買いに戻ると、もの凄い長蛇の列。最後尾は一体どこ、といった状況だ。レジは数か所しか開いていない。店員さんたちも出勤できないのだろう。
結局30分ほど待って、ようやく最低限のパンと飲み物を購入したが、ぐったり。お昼のお弁当を買いに出てきた近所のお勤めの人たちも困り果てている。それでも2時間ほど過ごしただろうか。相変わらずJRも私鉄も全て運転見合わせ中。お友達との久しぶりの再会もキャンセルになり、ひとまず今日指定をとっている新幹線の乗車変更に駅まで行ってみることに。途中ニュース等でも流れていた、線路上には止まっている電車の姿が。さすがに既に誰も乗客は乗っていなかったが、ああ、皆さん線路を歩かれたのだなと思う。
駅へ行く途中で、チェックアウトしたホテルともう一つのホテルに寄り、「今晩素泊まりでいいので泊まれますか。」と頼んでみるが、「あいにく予約が取れない状況です。」とお断りされる。もしや、と息子の寮のゲストルームに「予約が入っていなければ泊まらせて頂けないか」と息子に連絡してもらう。嗚呼、天の助け、幸い空いているし寝具も2セット用意して頂けるとのこと。タクシーやバスでの大阪脱出も考えたが、長蛇の列だし大渋滞は目に見えている。今日無理に帰るのは得策ではないのでは、という結論に達し、明日も休暇を頂くことになりそうです、と職場の上司に事情説明のメールをする。
駅では駅員さんたちが大勢改札の前に立ち、お客さん対応に追われている。「運転見合わせ、復旧の見込みなし」のホワイトボードが出ており、界隈の全線が止まっていることを示す電光掲示板が赤く点滅している。電車に乗ることが出来ず、どこにも行けず、コンコースや階段にそのまま座っている人たちも沢山。明日もどうなるかわからない。乗車変更は、状況が状況なので、明日でOKと言われる。
もう一つの私鉄の駅まで歩いてみようと歩き出す。被害の状況を目の当たりにするにつけ、だんだん気持ちが滅入ってくる。瓦が落ちたり、道路のブロックが盛り上がって崩れたり、塀のタイルがバラバラに割れて落下してコーンが置いてあるクリーニング店もあった。
それでも空は青い。何もなかったように太陽が照らしている。予報よりずっとお天気が良く、気温が高い。
どうやらJRの駅近辺よりも、私鉄の駅付近の方が被害が大きい模様だ。駅の天井からは水漏れもしていた。
駅前飲食店にはどこも「臨時休業」の張り紙が出て、シャッター商店街と化している。そして、市役所関連施設では「臨時避難所・休憩所として開放中」の看板。
自分たちも地震に遭遇しつつ、人々の安全を守る鉄道関係者、公務の方たちには本当に頭が下がる。来春から鉄道会社に就職予定の息子もその思いを強くしたようだった。
暑さと湿気と被害の状況を見ることで精神的に疲れてくる。大きな硝子が割れてしまったビデオショップの惨状を見ながら、思うこと感じることは後から後から湧いてくる。
なのに、お腹が空いてくる哀しさよ。ファーストフードのお店が開いていることを確認して、軽食を摂る。食後お手洗いを借りようと思うと、使用禁止になっている。やむなく大きなスーパーに行くと、こちらも1階の食料品と2階の薬売り場のみのオープン。お手洗いはお借りすることが出来て、そろそろ荷物をピックアップして寮に戻って靴を脱ぎたくなる。
再びJRの駅を目指し、夫はホテルへ荷物のピックアップに、息子と私は一昨日出したクリーニングを取りに行ってみたが、予想通り臨時休業だった。
寮ではガスが止まっており、今晩の夕食の提供はできないかもしれないとのこと。コンビニで夕食を調達しようと思うが、1軒目はラックはほぼ空の状態。2軒梯子してようやくなんとか食べられそうなものを見繕う。隣の市では水が濁っているとのことで、水を買おうとするが2リットルは全て完売。やっと500mlのものを自動販売機で息子が買ってきてくれる。
這う這うの体で寮に到着。おかげさまで畳の部屋で足を伸ばすことが出来、寝具も洗面用具も全て2セットずつ準備してくださった。下着等の着替えが尽きていたが、ランドリールームで洗濯も無事済ませることが出来た。
内服薬も余分を持ってきているし、ゼローダは今晩で内服終了なのもタイミングが良かった。
夫は相当草臥れたと見えて、既に鼾をかいてお夕寝中。息子も一緒にひっくり返ってリラックス中。期せずして家族3人で濃密な3日間を過ごすことになってしまった。何より家族全員が無事であったことに感謝したい。
もし私たちが東京にいてテレビの情報だけだったら、息子の安否が心配でいてもたってもいられなかっただろうから、こうして一緒に過ごせたのは不幸中の幸いだったかもしれない。
それにしても、昨日までの状況がこの地震で一変した。穏やかな一日は決して当たり前ではなく奇跡の積み重ねであることを痛感する。
ガスの復旧には最長10日ほどかかるという。この季節、汗っかきの息子がお風呂に入れないのは辛そうだ。大学も施設の安全確認が出来ないため、今週末まで入構禁止だとのこと。
なんとか無事に乗り切ってほしいと思う。