ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.6.7 5歳の”反省文”

2018-06-07 21:30:07 | 日記
 こんなに哀しい反省文を目にしたことがこれまであっただろうか。
 3月に継父から殴られて亡くなった5歳の結愛ちゃんのノートに書かれた“反省文”を見て、胸が締め付けられるとともに、憤った。

 本当ならランドセルを背負ってピカピカの1年生になるはずだった結愛ちゃん。
 一体誰がこんな文章を5歳で書かなければならないというのだ。
 それも自分のことを無条件に守ってくれる筈の親に対して。ひとりで寝起きさせられ、冬の時期、まだ真っ暗な朝4時に起きてひらがなを練習するように命じられて・・・。

 空腹でどれほど寒かっただろう。お腹が空いていて眠れなかったのかもしれない。
 5歳の女の子をモデル体型にしたいと、食事を減らした酔狂ともいえる挙句の虐待どころか殺人である。
 あそぶのがあほ、そんな暴言を吐かれていたのか。
 5歳の子どもが遊ばなかったら、一体何をして過ごすというのだ。
 あそぶのがあほ、そう言った父親は5歳のときにどうやって日々を過ごしていたのか。
 実子ではなかったという。1歳の実子は普通に育てられていたのだろうか。
 再婚した実母は、自分の立場が悪くなるのを恐れてこの暴力夫に対して強く言えなかったという。

 こう書くと異論があるかもしれないけれど、結局、こんな親失格な夫に依存しなければ生きていくことがままならない母親の弱さに唇を噛む。自分の保身のために自分の子どもを守ることが出来ないという事態だ。
 女性も人として、一人で生活をしていける力をつけなければこうした悲劇はいつでも起こりうる。そして悪循環はエンドレスだ。

 愛を結ぶという素敵な名前をつけられた結愛ちゃんの可愛らしい笑顔の写真を見、その時には予想だに出来なかっただろう哀しすぎる最期を思うと、どうにもやりきれない。
 昨日、ちょうど赤ちゃんポストの本を読んですぐ目にした惨い事件だったので、なんともやるせない気持ちで寝付きが悪かった。

 未来を担う子どもに対して、大人はこんな切ない文章を決して書かせてはいけない。
 こんな恥ずべき大人こそ反省文を書かなければならないのではないか。
 
 どんな反省文を書いても、もう結愛ちゃんは帰ってこない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする