昨夜は、息子には寮で夕食が提供された。ガスが止まっている中、電気で調理出来るものとのことで、おにぎりとワンプレートのおかずのみだったというが、温かいものを準備して頂き本当に有難い、と胸をなでおろした。
夫と2人、小さな畳の部屋で、選択の余地もなく買い求めたコンビニのお弁当をレンジで温め、息子の電気ケトルを借りて熱いお茶を頂くことが出来た。やはり暖かいものがお腹に入ると人はほっとするものだと実感する。
ガスが止まれば給湯器も使えず、当分お風呂に入ることが出来ない。私たちは帰宅すれば入浴出来るが、いくら若者でも簡単に身体を拭いただけでは疲れもとれないだろうし、ストレスフルだろうと思う。
大学は施設の安全確認のため、今週中の講義は中止、校舎棟は全面立ち入り禁止になったとのこと。そのため、お昼も生協食堂で摂ることが出来ない。夕食後、寮で簡単に食べられるものと明日の朝食、を調達しに近隣のコンビニやスーパーを数件巡ってみたが、ものの見事に水やパン、冷凍食品のラックは空っぽ。最低限の水を自動販売機で買い足し、残り物のカップ麺等を浚うしかない状態だった。
飲食店が全てクローズしている中、全国展開しているわけではなさそうなファミレスが営業していた。訊けば朝もモーニングセットの提供があるという。ひとまず明日はここで食事が出来そう、とほっとして寮に戻った。
ずっとテレビニュースを流しっぱなしだったが、実際に目にした場所の被害状況が画面に流れると何やらいたたまれない気分になった。寮の夕食を頂いたのに、買い物から帰ってきたら、コンビニでゲットしたカツカレーもペロリとたいらげた息子は頼もしい。腹が減っては戦は出来ぬ、である。彼の好物の´びわ´を買ってきて皆でデザートにした。
ゲストルームは2人分のお布団を敷いたらもう一杯で、足の踏み場もない。夫の鼾が憂鬱だが、逃げ場もないし、とにかく畳の部屋できちんと眠れることに感謝しなくては、と言い聞かせる。一応頭と足を逆にして、離して布団を敷いてみたけれど、果たして結果は不眠であった。
よほど疲れていたのだろう。夫はあっという間に高鼾。こちらは興奮しているのか疲れ過ぎているのか、なかなか眠れない。寝返りを打って足先が布団に触れる度に激痛が走る。少しウトウトしたかと思うと余震が来る。その度に目が覚める。
震度4ほどの余震があっても夫はどこ吹く風で鼾をかき続けていた。ある意味、羨ましい。息子も怖かったようでその都度起きたと言っていたのだが・・・。
寝付きが悪く、足先の痛みやお手洗いで何度も起きてしまった私は、都合3時間ほど寝ただろうか。お天気は曇天。蒸し暑いが昼からは雨が降り出すという予報だ。
当初の予定では早めの昼食を京都駅で食べて、息子は午後からの講義に出るということになっていた。けれど、私は疲労困憊しているし、あまりに爪囲炎が痛いので、クリニックに寄って木曜日で切れるフロモックスを追加で出して頂きたい、ということでなんとか夕方のクリニック受付終了前に自宅最寄り駅に到着したい。
そのため、息子には申し訳ないけれど、昨日下見していたファミレスでモーニングセットを頂いたら、すぐに寮を出ることにした。
かくいう息子は今朝も寮で食事の提供をして頂けた。寮母さんが、(ご両親には)お出しできなくてすみません・・・と恐縮されていたけれど、緊急事態に突然転がり込んだわけだし、水が濁り、ガスが使えないという非常事態の中、精一杯の食事を寮生に提供してくださることに頭が下がる。
ファミレスでは「本当にこちらがオープンしていて助かりました。」とお礼を言う。「古いお店なので都市ガスでなくプロパンを使っています。却って良かったね、と皆で言っていました。どうぞ気を付けて」と見送ってくださった。
ガスが出ない、お風呂が使えない、水も不安という非常事態に、沢山の方たちが働いて支えてくださっていることに、胸が熱くなり、誰彼かまわずお礼を言いたい気持ちになる。
寮に戻ってパッパと荷物を整理し、寮長さん、寮母さんご夫妻にご挨拶して寮を後にする。普段なら寮の最寄り駅から京都駅迄30分とかからない。テレビ情報では線路を使い分けて走行しているため、快速は運行中だが普通は見合わせ中という。
JRが動いていないようなら私鉄を回って行こう、とひとまずJRの駅を目指す。到着すると90分ほど遅延してはいるが運行はしている。駅には待ち人がかなりの数。ラッキーなことにホームを降りるとほどなくして電車が到着した。
発車はしたものの、びっくりするほどの徐行運転で、後から来た電車を先に行かせたり、時間調整をしたり。結局、京都駅まで1時間半近くかかった。情報が錯綜している様子で、その都度アナウンスする車掌さんもお気の毒だ。
新幹線の指定席を振り替える京都駅のみどりの窓口は長蛇の列。普段ならもうとっくに新幹線の中にいるくらい出発から時間が経っているのだけれど、今日はそうもいかない。駅員さんたち、窓口の方たち、皆一生懸命だ。赤字で『地震のため・・・』とコメントを入れてホチキス止めした珍しい切符が手元に戻ってきた。
こうしてようやく新幹線の切符を手に入れ、乗車予定の新幹線出発まで30分弱。息子も入場券を買って構内に入り、美味しいお弁当等親切に案内してくれる。お薦めの物を買い、大急ぎで職場や母等へのお土産も買い揃えた。
息子には、私たちが出発したら好きなお昼を食べて、駅前のスーパー銭湯に行って汗を流すと良いのではとサジェスチョン。その後のLINEの連絡によれば大好きなラーメンを食べてお風呂でさっぱり出来た模様。
新幹線は全く問題なく定刻通り、2時間弱で到着したが、息子の方はより遅延状況が悪くなっており、大変だったよう(帰宅は私たちと変わらなかったそう)だ。車内は混雑しており、夫とは横並びではなく縦並びの席になった。心配してくれていた友人知人にLINEで無事新幹線に乗った旨連絡し、お弁当を完食。
帰路は瀬戸内寂聴さんの「わかれ」(新潮文庫)を読んだ。
寝不足が祟って眠かったけれど、隣席の名古屋での出入りもあり、なかなか眠ることも出来ず、面白く読み進めた。帯には「愛した人は皆、この世を去った。それでも私はまだ、書いて、生きる。終世作家の粋を極めた名品集」とある9つの短篇集だった。
とにかく無事に新幹線の駅に到着し、すんなりJRの在来線に乗り換えることが出来た。まだ時間も早かったので夫と2人席を確保して私鉄乗換駅まで。『地震のため・・・』とコメントが記された切符は記念に頂いた。寮を出てから5時間半弱だ。
そして、皮膚科クリニックへ。幸い待ち人は数人で、診察券を持っていなかったのにすぐ診て頂けた。「うーん、巻き爪もあるし、圧迫されているから痛いなあ、これは。可哀想だなあ。少しずつ良くはなっていると思うのだけれど」と仰る。かといってゼローダを止めるわけにはいかないし・・・。また2週間分のフロモックスを追加で出して頂き、階下の薬局で薬を頂き、カフェでお茶をして待っていた夫と、タクシーで帰宅した。
関西は雨降りだったが、こちらは明るく気温が高い。梅雨の晴れ間の一日だったようだ。風もあるし、気持ち良いくらい涼しい。2人で頑張って片づけを進め、大洗濯をしてベランダ一杯に洗濯物が翻った。
こうして思いもよらず天災に遭遇した長い長い3泊4日の旅から帰宅した。
帰ってきた自宅最寄り駅界隈では、何もなかったように普通の生活が回っていた。何やらキツネにつままれたような、夢だったのかというような不思議な気分である。
ともあれ、一日も早く余震が落ち着き、ライフラインが復旧して被害の大きかった市内の方たちがゆっくり自宅のお風呂に入ることが出来ますように、と今は静かに祈りたい。
初日に息子とコンビニから送った冬物一杯のスーツケース等が先ほど届いた。ベランダは一杯で干すスペースもないし、今晩は仕分けだけに留める。明日から大車輪で頑張るために、今夜は早く休んでおかなくては・・・。
夫と2人、小さな畳の部屋で、選択の余地もなく買い求めたコンビニのお弁当をレンジで温め、息子の電気ケトルを借りて熱いお茶を頂くことが出来た。やはり暖かいものがお腹に入ると人はほっとするものだと実感する。
ガスが止まれば給湯器も使えず、当分お風呂に入ることが出来ない。私たちは帰宅すれば入浴出来るが、いくら若者でも簡単に身体を拭いただけでは疲れもとれないだろうし、ストレスフルだろうと思う。
大学は施設の安全確認のため、今週中の講義は中止、校舎棟は全面立ち入り禁止になったとのこと。そのため、お昼も生協食堂で摂ることが出来ない。夕食後、寮で簡単に食べられるものと明日の朝食、を調達しに近隣のコンビニやスーパーを数件巡ってみたが、ものの見事に水やパン、冷凍食品のラックは空っぽ。最低限の水を自動販売機で買い足し、残り物のカップ麺等を浚うしかない状態だった。
飲食店が全てクローズしている中、全国展開しているわけではなさそうなファミレスが営業していた。訊けば朝もモーニングセットの提供があるという。ひとまず明日はここで食事が出来そう、とほっとして寮に戻った。
ずっとテレビニュースを流しっぱなしだったが、実際に目にした場所の被害状況が画面に流れると何やらいたたまれない気分になった。寮の夕食を頂いたのに、買い物から帰ってきたら、コンビニでゲットしたカツカレーもペロリとたいらげた息子は頼もしい。腹が減っては戦は出来ぬ、である。彼の好物の´びわ´を買ってきて皆でデザートにした。
ゲストルームは2人分のお布団を敷いたらもう一杯で、足の踏み場もない。夫の鼾が憂鬱だが、逃げ場もないし、とにかく畳の部屋できちんと眠れることに感謝しなくては、と言い聞かせる。一応頭と足を逆にして、離して布団を敷いてみたけれど、果たして結果は不眠であった。
よほど疲れていたのだろう。夫はあっという間に高鼾。こちらは興奮しているのか疲れ過ぎているのか、なかなか眠れない。寝返りを打って足先が布団に触れる度に激痛が走る。少しウトウトしたかと思うと余震が来る。その度に目が覚める。
震度4ほどの余震があっても夫はどこ吹く風で鼾をかき続けていた。ある意味、羨ましい。息子も怖かったようでその都度起きたと言っていたのだが・・・。
寝付きが悪く、足先の痛みやお手洗いで何度も起きてしまった私は、都合3時間ほど寝ただろうか。お天気は曇天。蒸し暑いが昼からは雨が降り出すという予報だ。
当初の予定では早めの昼食を京都駅で食べて、息子は午後からの講義に出るということになっていた。けれど、私は疲労困憊しているし、あまりに爪囲炎が痛いので、クリニックに寄って木曜日で切れるフロモックスを追加で出して頂きたい、ということでなんとか夕方のクリニック受付終了前に自宅最寄り駅に到着したい。
そのため、息子には申し訳ないけれど、昨日下見していたファミレスでモーニングセットを頂いたら、すぐに寮を出ることにした。
かくいう息子は今朝も寮で食事の提供をして頂けた。寮母さんが、(ご両親には)お出しできなくてすみません・・・と恐縮されていたけれど、緊急事態に突然転がり込んだわけだし、水が濁り、ガスが使えないという非常事態の中、精一杯の食事を寮生に提供してくださることに頭が下がる。
ファミレスでは「本当にこちらがオープンしていて助かりました。」とお礼を言う。「古いお店なので都市ガスでなくプロパンを使っています。却って良かったね、と皆で言っていました。どうぞ気を付けて」と見送ってくださった。
ガスが出ない、お風呂が使えない、水も不安という非常事態に、沢山の方たちが働いて支えてくださっていることに、胸が熱くなり、誰彼かまわずお礼を言いたい気持ちになる。
寮に戻ってパッパと荷物を整理し、寮長さん、寮母さんご夫妻にご挨拶して寮を後にする。普段なら寮の最寄り駅から京都駅迄30分とかからない。テレビ情報では線路を使い分けて走行しているため、快速は運行中だが普通は見合わせ中という。
JRが動いていないようなら私鉄を回って行こう、とひとまずJRの駅を目指す。到着すると90分ほど遅延してはいるが運行はしている。駅には待ち人がかなりの数。ラッキーなことにホームを降りるとほどなくして電車が到着した。
発車はしたものの、びっくりするほどの徐行運転で、後から来た電車を先に行かせたり、時間調整をしたり。結局、京都駅まで1時間半近くかかった。情報が錯綜している様子で、その都度アナウンスする車掌さんもお気の毒だ。
新幹線の指定席を振り替える京都駅のみどりの窓口は長蛇の列。普段ならもうとっくに新幹線の中にいるくらい出発から時間が経っているのだけれど、今日はそうもいかない。駅員さんたち、窓口の方たち、皆一生懸命だ。赤字で『地震のため・・・』とコメントを入れてホチキス止めした珍しい切符が手元に戻ってきた。
こうしてようやく新幹線の切符を手に入れ、乗車予定の新幹線出発まで30分弱。息子も入場券を買って構内に入り、美味しいお弁当等親切に案内してくれる。お薦めの物を買い、大急ぎで職場や母等へのお土産も買い揃えた。
息子には、私たちが出発したら好きなお昼を食べて、駅前のスーパー銭湯に行って汗を流すと良いのではとサジェスチョン。その後のLINEの連絡によれば大好きなラーメンを食べてお風呂でさっぱり出来た模様。
新幹線は全く問題なく定刻通り、2時間弱で到着したが、息子の方はより遅延状況が悪くなっており、大変だったよう(帰宅は私たちと変わらなかったそう)だ。車内は混雑しており、夫とは横並びではなく縦並びの席になった。心配してくれていた友人知人にLINEで無事新幹線に乗った旨連絡し、お弁当を完食。
帰路は瀬戸内寂聴さんの「わかれ」(新潮文庫)を読んだ。
寝不足が祟って眠かったけれど、隣席の名古屋での出入りもあり、なかなか眠ることも出来ず、面白く読み進めた。帯には「愛した人は皆、この世を去った。それでも私はまだ、書いて、生きる。終世作家の粋を極めた名品集」とある9つの短篇集だった。
とにかく無事に新幹線の駅に到着し、すんなりJRの在来線に乗り換えることが出来た。まだ時間も早かったので夫と2人席を確保して私鉄乗換駅まで。『地震のため・・・』とコメントが記された切符は記念に頂いた。寮を出てから5時間半弱だ。
そして、皮膚科クリニックへ。幸い待ち人は数人で、診察券を持っていなかったのにすぐ診て頂けた。「うーん、巻き爪もあるし、圧迫されているから痛いなあ、これは。可哀想だなあ。少しずつ良くはなっていると思うのだけれど」と仰る。かといってゼローダを止めるわけにはいかないし・・・。また2週間分のフロモックスを追加で出して頂き、階下の薬局で薬を頂き、カフェでお茶をして待っていた夫と、タクシーで帰宅した。
関西は雨降りだったが、こちらは明るく気温が高い。梅雨の晴れ間の一日だったようだ。風もあるし、気持ち良いくらい涼しい。2人で頑張って片づけを進め、大洗濯をしてベランダ一杯に洗濯物が翻った。
こうして思いもよらず天災に遭遇した長い長い3泊4日の旅から帰宅した。
帰ってきた自宅最寄り駅界隈では、何もなかったように普通の生活が回っていた。何やらキツネにつままれたような、夢だったのかというような不思議な気分である。
ともあれ、一日も早く余震が落ち着き、ライフラインが復旧して被害の大きかった市内の方たちがゆっくり自宅のお風呂に入ることが出来ますように、と今は静かに祈りたい。
初日に息子とコンビニから送った冬物一杯のスーツケース等が先ほど届いた。ベランダは一杯で干すスペースもないし、今晩は仕分けだけに留める。明日から大車輪で頑張るために、今夜は早く休んでおかなくては・・・。